「高知で研がれた包丁も他県に渡れば高知の名前はどこにも出されず、他県産として販売される」という現状を覆すべく、技術を磨き続けています。
また次の世代へ繋げるため、担い手を増やしていくことにも熱心に取り組まれています。包丁にかける熱い想いを伺いました。
須崎で17年間修業を重ねた。
そこで働く前まで、「刃付師」という職種があることすら知らず。親方も鍛冶屋さんやと思っていたので、入ってみて始めて刃付屋さんやということを知りました。
職場には、兄弟子と奥さんと親方がいました。最初の1週間はずっと立ちっぱなし。何もできず立って見ているだけ。
「この人よりデキるんやないろうか」と。根拠のない自信がありましたね。
だんだん上達すると自信になってくるというか。もうその繰り返しで、17年勤めました。
「本当に良いモノ」を作り出したい。
ある程度経験を積んでくると独立したいという欲が出てきて、「田所刃物」として起業。独立時に「良いモノを作りたい」というのが念頭にありました。
包丁の本場「堺」で一番の研ぎ師に師事。
「こんなんでいけるんですか?」と聞くと、「これやないといかん。これでも安いほうやがな。これから上げていかないかん。」と言われて、「すごいな!もうこれは覚えるしかない」と腹を決めました。
修行する上で大切なのは、素直になること。
修行にしているうちに、だんだん楽しくなってきて。学ばせてもらっていると徐々に上達してくる。すると、うんと(すごく)ほめてくれるんです。
師匠に「ほんとですか?」と聞くと、「もう十分や十分や!」と。褒めてのばしてくれて。何年かして師匠に「何が良くて僕を受け入れてくれたんですか?」って聞いたら「センスがある」と。
僕自身はセンスがあるか分かりませんでしたが、「見てセンスがあったから、イケるやろう。」と思ってくれていたようです。今でも分からなかったら教えてもらっています。今は通信教育なので(笑)
ここ最近は、年に1回のペースで高知に来てくれます。
師匠のところも数人でやっていて、後継者である息子さんがいます。どこも同じですが、やっぱり2,3代目が多いんです。
親父さんのやり方がメインになってくるんですよね、どうしても。「こういう機械を入れたら良いよ、砥石をいれたらいいよ。」と言ったときに、実際に入れた人がいないとおっしゃっていました。
僕はもうまっさらなので、「この砥石を付けたらいいよ」と言われたら、今つけている砥石をすぐに捨てて新しいのを買うて付けました。それがスゴク嬉しかったらしくて。「あっ、ヤル気あるんやな」と思ってもらえたようです。
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