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RT社長 山本晋爾|美容を通して豊かになれる道筋を。

高知を中心に14店舗を展開する美容室「RT」社長|山本 晋爾

高知を中心にグループ全体で14店舗を展開する「株式会社RT 」。事業継承の成功事例としても全国的に注目を集めるRT社長の山本 晋爾さんに、半生から現在の成功に至るまでの経緯を紐解きました。

親の離婚きっかけで、高校中退。

僕の生まれは岡山で、高校生まで高松(香川)にいました。
高校一年の時に、親の離婚がきっかけで、母方の親戚を頼って高知に引っ越してきました。

高校生の多感な頃だったこともあり、香川の高校を中退し、そのまま働くことを決めました。

当時はあまり学歴の関係ない職種だった建築関係か、美容師、ブティックの定員など、中卒でも働けた職種が候補で、選択肢はあまりなかったです。
母親が化粧品販売をしていたので、美容という面に関しては身近に感じていました。

高校を辞める夏休みに、美容師か、土木関係の仕事に就こうか悩んでいました。
たまたま親戚のおじちゃんが土木をやっていたので、アルバイトに行ったんです。身長は今と変わらず178cmで、体重は48kgのガリッガリだったので、土木はできないなと痛感しました(笑)

生きるために選んだ美容師。

高知を中心に14店舗を展開する美容室「RT」社長|山本 晋爾16歳で高知にIターン後、親戚のおばちゃんの紹介で入ったのが、ロイヤル高木(当時の屋号)でした。
最初のスタートは志があったわけではなく、たまたま縁があって、生きていくために美容師を選びました。

昔から一度やると決めたら、やり続けられる。継続するのは得意でした。
ポジティブ思考で自信があったので、「何やってもうまくいくだろう」と思っていました。「ブティックの店員になっても絶対に一番売るだろうし、水商売でも稼ぐだろうな」と。
家を出て、今の高木会長の家のはなれに居候させてもらって、徐々に自立していきました。

30歳の頃に、高木から「この会社を継がないか」と正式にオファーされました。

失敗したら、美容師を辞める。

当時の僕には、「自分の店を持つ」という夢があり、目標を持っていたので、その時はお断りしたんです。
その後、いろんな方に相談する中で、ある人に「道を選び悩んでるなら、しんどい方を選んだら良いんちゃう?」と言われました。

「しんどい方か…」と考えていて、「一人で独立してお店をやっていくというのも大変だけれど、会社(当時ロイヤル高木には約30人の社員がいた)を引き継いで大きくしていく方が、もっと大変だろうな」と思ったんです。
先の言葉が後押しになり、社長として代を引き継ぐことが「自分の中での独立だ」という解釈をして継ぐことを決心しました。

一番いかんと思ったのが、「うまくいかんかったら、また自分の会社立ち上げてやったらいいわ」という意識で引き継ぐこと。
それだと多分失敗するだろうなと思ったので、失敗したら美容師を辞める覚悟を決めました。

2000年に社長になり、2020年で就任20周年になります。

売上激減から、V字回復。

高知を中心に14店舗を展開する美容室「RT」社長|山本 晋爾もちろん、就任して順風満帆ではありませんでした。
社長になって3年ほど経ったとき、全店舗の売上がドーンっと落ちたんです。

僕の先輩が辞めて独立していったことが大きかった。僕は気の強い方ですし、先輩後輩関係なく、方針を決めてご迷惑をかけた部分もあったと思います。

流石にヤバイと感じて、今の幹部たちを引き揚げ、若返りを測りました。
そして、なんとか1年経たずにV字回復できました。

売上に関しては挽回できるけれども、辞めたスタッフは戻ってきません。それが辛いですね。本当は残って、一緒に頑張ってもらいたいなという思いがあります。
独立や、結婚、美容師辞めた子もいます。美容師業界はその繰り返しなので、そこは人と関わる限り永遠に続くので、向き合っていくしかないと思っています。

 

カリスマ性ではなく、ビジュアルで導く。

高知を中心に14店舗を展開する美容室「RT」社長|山本 晋爾オーナーとして自分が立ち上げた会社ではなかったので、「俺についてこい!」みたいなカリスマ性で、社員を引っ張っていくのは無理がありました。
社長になったから偉いのではなくて、「社長という役割になった」と考えました。 オーナーとしてのカリスマ性ではなく、社長として思いを伝えて、形にしないといけない。

そこで、「ISMブック」を作りました。
自分の思いや考え方を短期間で浸透させていくには、ビジュアルで示した方が良いと思ったんです。

「ISMブック」を通して、どんなビジョンを持っているのか? 何のためにRTはあるのか? というのを明文化しました。
結果的に、各スタッフには伝わったんじゃないかなと思っています(笑)

当時のアシスタントだった子たちが、今はディレクター等で右腕、左腕として頑張ってくれています。

社員数70人を超えて、社長業に専念。

33歳で社長になってからはプレイングオーナーとして、お客様へのサービスも行いながら、店舗運営していました。
40歳を超えてから、社員数も増えてきたので、経営側に回る必要性を感じていました。 けれども、お客様との接点もなくしたくないという思いから、なかなか踏ん切りがつかきませんでした。

社員数70人を超えたあたりから、ハサミを置こうと決めました。もう経営に専念して10年程になります。

ハサミを置くと決めて、僕についてくれていたお客様もいましたので、半年くらいかけて引き継ぎをしっかりしていきました。
僕がハサミを置いた年、「売上は前年比を割るかなー」と思っていましたが、その年の12月、過去最高売り上げを出しました(笑)

社員が成長したんです。そして自分が違うゾーンに行くことで、幹部たちが役割ができただろうし、危機感も感じたと思うんです。

僕は働いている子たちに、「美容師やっていてよかった」「高知に残ってよかった」「RTに入ってよかった」と口に出してもらえたり、思ってもらえるのが嬉しい瞬間です。
特に、「美容師やっていてよかった」と思ってもらえるのが一番嬉しい。社長の役割として、「美容師やっていてよかった」と感じれる環境を作っていくのが僕の役割だと思っています。

まず、自分自身が成長する。

高知を中心に14店舗を展開する美容室「RT」社長|山本 晋爾「社員が輝ける環境をどう作っていくのか?」と考えていたときに、ふと思うと社長になった時点で、知り合いが美容師かお客様しかいなかったんです。

僕は土日も仕事で、夜も練習で帰りも遅かったので、外部との接触がほとんどありませんでした。

全部社内で完結していたので、もう少し外に出て、自分自身が成長なり、大きくしていかないと会社も大きくならない。
僕自身が先頭切って、学び、成長することによって会社も成長する。よって社員も幸せになる。 まず自分から示していくのが一番かなと感じました。

35歳頃、高知青年会議所に入り、高知の経済人や横の繋がりを意図的に作り、県外の美容業界にも繋がりを増やしました。 今でこそSNSやネットの影響で情報は早くなりましたが、高知なので情報が来るのが遅かった。

自分の足で、意識して情報を取りに県外に出ていくようになりました。

社長になって始めた2つのこと。

高知を中心に14店舗を展開する美容室「RT」社長|山本 晋爾社長になって始めたことが2つあります。一つは、屋号を「ロイヤル高木」から「RT」に変えたことです。

社長就任時は、ちょうど30周年でした。長年お世話になったので、「ロイヤル高木」という屋号には思い入れもありました。
なので、頭文字から拝借して「RT」としました。

もう一つは、年に一度の合宿です。
一泊二日で逃げ場もないので、最初はみんなチョー嫌がりました(笑)  その合宿で1年間のテーマを決めて、売り上げ目標を設定します。

それまでは、会社から落ちてきた売上目標を各店にふり分ける仕組みでした。 けれども、みんなそれぞれ夢や思いがあって美容師をしている。
その思いを数字にしたものが店の数字であるべきだと思ったんです。

例えば、○年後かに店長になりたい。そのためには、今年中に〇〇人のお客様に評価される美容師になる必要がある。と考えます。

それが月100万円の個人売上だとすると、年間1200万円になります。 先例のように、「今年はこれだけ成長したい」という各スタッフの目標が、お店の売上目標にしています。
各店舗を合わせた売上が会社の売上目標になるように、ボトムアップ型の目標設定に変えたのです。

幹部には事前に目標額を伝えていますが、各スタッフには伝えていません。けれど、不思議とその数字に近づいてきます。

変化は基本的に誰もが嫌がります。でも変化を恐れて何もしなかったら、知らぬ間にぬるま湯になっちゃって気がついたら死んじゃうことになるので。
社員は嫌がるけれど、変化を恐れず、毎年新たな取り組みを行っています。

それは技術的なことであったり、人間的なことであったり、営業的なことであったり、毎年テーマを変えながら行っています。
これが社長になってから20年間続けてきたことです。

事業継承が成功したワケ。

高知を中心に14店舗を展開する美容室「RT」社長|山本 晋爾

左:代表取締役会長 高木義夫|右:代表取締役社長 山本晋爾

社長になった当時は5店舗程で、社員数は40人程でした。
今はグループ全体で14店舗(直営10店舗、FC3店舗、県外の関連美容室1店舗、)で、社員は100名程となっています。
総売上は2000年から比較して、200%以上増と発展しています。

今では事業承継の成功事例として、全国の各メディアで取材を受けたりもします。

高木の奥さん(先生)も現役で働いているのですが、僕が社長になったけれども、先生からするとまだまだ子ども。

心配でたまらんと思うんです。 社長になったときも、冷や冷やしてたまらんかったと思うんです。けれど、一切口を出さなかった。
僕が社長になる前から、高木は「この会社はお前らの会社やから」「会社にトップは1人でいい。命令系統は一つ。二人はいらない」と口すっぱく言っていました。

おかげで、自由に動けました。信頼してくれていたので、「その気持ちに応えたい」という気持ちが強くありました。
信頼してくれていたからこそ、今があるのかなと思っています。

決算報告はするのですが、あまり興味を示しません(笑) そこに男気があったというか、やりやすかったです。

実質社長になったけれど、経営権を高木が握っていたら、今ここにいたかは分からないです。高木とは、今でもお互いに信頼関係があります。

基本理念は、「美しく生きる」。

高知を中心に14店舗を展開する美容室「RT」社長|山本 晋爾高木の思いも引き継いでいくために、大事にしていたことの要約をまとめることにしました。
高木へのヒアリングを通して出てきたもっとも強い言葉が、「美しく生きる」という言葉でした。

RTの社員として、外面的なことではなく、内面的に、美しく生きる。というコンセプトに基づいた行動指針を「コンピテンシー(優秀な成果を発揮するための行動特性)」としてまとめました。

いろんな社員や価値観を持った人たちの中で運営しているので、「大事なものは統一しようよ」ということで作りました。

一つ一つの項目に対して、物差しの定義付け、レベルを明確にしたのです。面談を通じて導いていく価値観教育を行っています。

僕の役割は、引き継いだものをより良い状態で、次の世代に引き継ぐこと。
RTがどういった形で変化していくべきか、自主活性しながら、成長することが大事だと考えています。

生き抜く力を身につけるために。

僕は「自主独立」という言葉をよく使います。 生き抜く上で、「自らが自分の足で道を切り開いていく」という強い意志が大事。

高知においては、経済的にもっと厳しくなるし、高齢化も益々進み、人口も減っていく。 けれど、この地で生きていかないといけない。

じゃあ、どう強く生き抜いていくのか?  僕は社員に、その生き抜く力を社会人として仕事しながら身につけて、美容を通じて豊かになってもらいたい。という思いがあります。
会社をどう成長させていか。というのも考えていますが、必ずしも巨大化することがすべてではありません。

創業40周年のとき、「50周年を迎えるまでに、10法人、10社長作る」と宣言しました。
今はその実現のため、パートナーシップサロンを立ち上げ、将来、社員が社長になっていくための道筋やキャリアパスを含めて考えています。

これからもRTで働いてくれている仲間が、美容を通して豊かになれる道筋を作っていきます。


編集後記

事業継承が成功している一番の要因は、信頼。一口に信頼といっても、どんな相手でも全幅の信頼をすることは難しい。高木会長の男気には感服しました。
高木会長が山本社長を信頼したように、山本社長もまた社員に対して信頼し、しっかりと高木イズムが受け継がれているのだなと感じました。

売上が激減した話がありましたが、立て直すために今何をすべきなのか?
下記の言葉に山本さんの仕事観、考え方が見えるなと思ったのでご紹介します。

売上は、下がったり上がったりする。
ジャンプするときは一回かがむ。かがむからこそ、ジャンプができる。
沈んだ時は、ドタバタするんじゃなくて、次に向けて準備をしっかりする。
社員にも言っていますが、数字は結果であって、数ヶ月前にお客様に対して行った通信簿。
3ヶ月前の結果が今、出ている。それはサロン、会社や美容師個人も同じ。
大事なのは、その結果をしっかり受け止め、どう改善するか。どの商売も同じだと思います。

撮影の際、スタッフの方々と楽しそうに会話する山本さんの優しい表情が印象的でした。
RTに行ったことがない、という方は一度サービスを体感してみてください。