Instagram 45,000 Followers!

ネイチャーフィットネス(NATURE FITNESS)澳本伊吹|フィットネスを通して豊かな生活を。

ネイチャーフィットネス(NATURE FITNESS)澳本伊吹

YouTube登録者数は4万人越え! 法人設立後10ヶ月で年商1億円達成と、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続けるネイチャーフィットネス(NATURE FITNESS)澳本伊吹さん。その成長の裏には、たくさんの失敗と圧倒的な行動力、パッションがありました。

不登校児だった学生時代

ネイチャーフィットネス(NATURE FITNESS)澳本伊吹

生まれは黒潮町で、小学校2年生からは四万十市で過ごしました。小学2年生から不登校で、中学3年生までほとんど学校に行っていませんでした。今でもそうなんですけれど、集団行動が苦手で、椅子に座ってじっとしてられないんです(笑) 高校受験で前期後期、両方落ちちゃって再募集で西土佐分校に受かり、高校は寮に住んでました。

5歳から高知市内にある新極真会「三好道場」でずっと空手をやっていました。学校には通っていないけれど、「一つだけはやりきれ」という親からの指示で空手だけは18歳まで通い続けていました。空手は中学校1年から高校3年までユースに所属していて、全日本の強化選手として活動していました。

高校に入っても学校にはあまり行っていなくて。高校2年生のときに、「自分の将来の夢を決める」という授業がありました。
ずっと空手だけやっていたので、スポーツトレーナーになろうと思って関連資料を調べると、「スポーツトレーナー」以外にも「理学療法士」という仕事を見つけました。

そのとき、病院で働く仕事に憧れが出てきて、「今から頑張ったら、理学療法士になれるんじゃないか」と思いました。目標ができたことで、高校2年生の春から本気で勉強をはじめて、真面目に学校に行き始めました。

YouTubeを始めたきっかけ。

ネイチャーフィットネス(NATURE FITNESS)澳本伊吹

勉強の末、土佐市の「高知リハビリテーション学院」に入学しました。入学と同時に、「何か体を動かすことをしたい」と思って始めたのが筋トレでした。

当時、筋トレを学ぼうと思って、YouTubeで「筋トレ」と調べても動画が一個も出てきませんでした。英語で「fitness」と調べると、外人の筋トレ動画がいっぱい出てきて。その中に、カナダ人のフィットネスモデル「マーク・フィット(Marc Fitt)」のチャンネルを見つけたんです。

「マーク・フィット(Marc Fitt)」の動画を見たときに、あまりのカッコ良さに体中に電気が走っちゃって。「こんな体になりたい!」と思って、筋トレを始めた当日にビデオカメラを買ったんです。
そのとき体重60kg程度のガリガリだったので、「今動画を出しても誰も見てくれない。だったら、1年間動画を撮って1年間のビフォーアフターを動画に出そう!」と思って、1年後のためにビデオを撮ったんです。

そして1年間筋トレ動画を納めた1年間のビフォーアフター動画をYouTubeに投稿しました。それがYouTubeを始めたきっかけです。

理学療法士として
気づいた違和感。

その後、専門学校を卒業し、千葉県の病院に勤務しました。病院に勤務する前は、「リハビリは、自力で歩けない人を歩けるようにさせる」というイメージだったのですが、僕が行った病院は、脳梗塞・脳出血になった人たちのいる専門の病院に近かったんです。

実際、病院で働いてみると、「歩けない人をリハビリさせる」というより、「寝たきりで全く反応しないような方々をリハビリする」ようなことが多くて。例えば、リハビリをやって歩けなくなった人が歩けるようになったとしても、病気する前の健康な状態にするのって不可能なんです。100だったものが、一回ゼロになって。それをなんとか頑張って努力して50までレベルアップして、そこからはずっと50のまま、みたいなのが僕が働いていたリハビリ現場の現実だったんです。

それにみんな一生懸命になっていたんですけれど、僕は違和感をすごい感じて。「これって、病気にならなかったらいいじゃん」って思っちゃったんです。
そのときに、自分がやっていたフィットネスと予防というのがリンクして、ここでリハビリがんばるより、自分でフィットネスジムを開いて、病気にならない人を増やした方が、はるかに貢献できると思ったんです。

それを思ったのが2017年8月。働き始めて4ヶ月後には辞める決意をして、「ジムをやろう!」と。

フィットネスマシンが
高額過ぎる。

ネイチャーフィットネス(NATURE FITNESS)澳本伊吹

その結論に至った次の日、四万十市にいる父親に「地元のテナントを父親に調べてほしい」連絡しました。たまたま今の「ネイチャーフィットネス 四万十市店」の物件が貸し主を募集していて、面積も広く、安かったのでここにジムを出すことを決めました。

2017年12月には理学療法士を退職して、2018年1月から店舗のオープンに着工しました。それが23歳の出来事です。

問題はそこから。ジムをオープンするには、お金がかかります。僕は経営をしたことがなかったので、「600万程度あれば起業できる」と思っていたんです。けれど、実際にやろうと思ったら3,000万くらいは必要だということが判明しました。

お金を借りるにしても実績もないので、990万しか借りれなかったんです。990万借りれたというのも、父親が日本政策金融公庫で過去2回お金を借りて完済実績もあったので、連帯保証人をつけるという条件付きで990万円を借りることができました。

100坪のテナントと990万円の資金だけあって。「990万でジムを開業しようとしてもできない」ということに直面しました。できない理由は、「フィットネスマシンが高すぎる」。

そのとき僕が考えたのは、「製造元から直接仕入れたら安いんじゃないか」ということ。中国の情報をググってググって、中国にフィットネスマシンの工場があることを突き止めました。

そして、卸値でマシンを仕入れることができました。その他、高価なゴムマットも全部卸値で仕入れました。それでも990万円で収まらず、知り合いから200万円借りてなんとかジムをオープンすることができました。

ジム開業のニーズに気づく。

ネイチャーフィットネス(NATURE FITNESS)澳本伊吹

ジムをオープン後、予測を上回るスピードで会員数が増えました。3ヶ月で会員が300人超え! オープン前は、200人いけば上出来だと思っていたので、フィットネスジムは成功することができました。

僕がジムをオープンする過程をYouTubeで投稿していくと、「どうやったらジムってオープンできるんですか?」「同じところから器具を買いたいです!」という問い合わせが、1ヶ月に100件を超えるくらい届きました。これって、ビジネスになるなと思って(笑)

それで、ジム開業のコンサルティングを始めたんです。コンサルと一緒に、仕入れたフィットネスマシンとゴムマットの輸入販売もスタートしました。
初めてフィットネスマシンを仕入れるとき、個人事業主だったので貿易ができませんでした。なので、別の会社(以降:A社)の社長さんにお願いをして、輸入してもらっていたんです。その社長さんは、「これは儲かるぞ」と思って、「一緒にビジネスをやらないか」という話を持ちかけてきました。

人任せにせず、自力でやり切る。

A社はフィットネスのことを全く知らなかったので、僕がお客様対応をして、A社は注文と組み立てと貿易のみ行い、僕に取継手数料を支払う契約でした。ところが、予想以上に注文が多かったので、僕を通さずにお客様の対応をしていました。騙されていたんです。

実際に仕入れている数字と僕が聞かされていた数字は違っていました。そうすると、フィットネスの知識がないので悲惨なことになっていたんです。それを僕は全く知らされてなくて。それが起業して10ヶ月後のことです。

それで学んで、「人に任せるからこういうことになるんだ。自力でやろう!」と会社を立ち上げ、A社とは関係を断ち切りました。

中国の優良メーカーと独占契約。

製造メーカーを調べ抜いた末、アリババ(世界最大の流通総額を持つオンラインマーケット)で情報を見つけることができました。サイトに載っている工場の写真が綺麗か? 工場を立ち上げて何年で、従業員数が何人か? を基準に何社かアポイントを取りました。
中国の優良メーカーは3社程度しかなく、ググって得られる情報も少ないので、実際に足を運ぶしかありませんでした。中国視察で各メーカーを回った中で、「SHUA(シュア)」という優良メーカーに目をつけました。

交渉前に、「そのまま丸腰で行っても、立ち上げたばかりの会社と契約を結んでくれるはずがない」と思ったので、僕は銀行に行き、借入可能額を聞くと「3000万円は借りられる」と言われました。

この3000万円を架空の見込み客として持っておいて、その他にコンサルをしていたので、さらに4件の「SHUAのマシンがほしい」というお客様を合わせて、合計10件分の架空の見込み客を持って中国に行ったんです。

案の定、1日目は全く相手にされず。僕が視察に行った1ヶ月前に、日本の某大手企業の社長さんが交渉に行っていて、すでに交渉に入っていました。でも、優良メーカーは限られていたので、「絶対に契約を取られるわけにはいかない!」と、その日の夜に4件のお客様に「もし売らせてもらうなら購入しますか?」と再確認の連絡をして、全員「購入します」と返事をいただきました。

次の日、「4件契約を取ってきました。今ここで4件注文しますけれど、それでも契約しませんか?」と伝えると、「4件取れるならやりましょう」と、僕の前に行っていた会社との交渉を一旦ストップして、僕の案件を受けてくれたんです。

日本に帰国後、1ヶ月で10件さばきました! SHUAの担当者曰く、その数字がロシアやアメリカ等の企業と同じスピード感だったそうです。当時、日本はすごい小さい市場と思われていたのに、僕が実際に出した数字が良好だったんです。

結局、自社で独占契約(日本での独占販売権)を取ることに成功しました。

次世代のフィットネスマシン「SHUA」。

ネイチャーフィットネス(NATURE FITNESS)澳本伊吹

「SHUA(シュア)」は、中国で20年以上の歴史のある中国最大手の業務用フィットネスマシンメーカー。生産ラインの殆どを自動化に成功し、少ない不良品率、高品質、低価格を実現しています。
次世代のフィットネスマシンは、ただのマシンではなく、「トレーニングのデータを収集する」ステージに上がっていく。「SHUA(シュア)」は、そのIT技術が先進的でした。

全マシン、タブレット付きでFace ID認証。トレーニングデータはWeChat(アプリ)に保存される。体組成計・体脂肪計に加えて、ジャンプ力や体の柔らかさといった身体機能も測定でき、トレーニング結果のデータが明確に出る。

「SHUA(シュア)」と契約を取れたことで、フィットネス業界がネクストステージに行ったとき、自分が先頭に立っていきたい。
日本でも導入したいと思ったのですが、身体測定機が仕入れだけでも1,000万円を超えるんです。売ろうと思ったらもっと高い値段になるので、「これは日本の市場に落とし込めない」と思いました。

もう一つの課題は、全部のマシンにコードを接続する必要がありました。機材が40台を超えると、設備を整えるのも現実的ではない。実現するため、まず身体測定器を違うメーカー(アメリカの某メーカー)を見つけ、独占契約を取りました。それでも高額なため、数年後には、「SHUA(シュア)」と身体測定器を連動させる予定です。

コロナショックを
乗り越えた先に。

フィットネスマシンを導入して、昨年度は、法人設立10ヶ月で年商1億円を突破しました。会社の規模も増えて、会社を立ち上げてちょうど1年経ちました。
これまでの人生、ずっと右肩上がりでうまく行っていて。「こんなにうまくいくはずがない、必ず谷がある」と思っていました。

2020年5月、愛媛にフランチャイズ1号店をグランドオープンするため準備を進めていました。その矢先にコロナショックが起き、大ダメージを受けました。
極力お金を借りず慎重に経営してきたので、ダメージは大きかったのですが、この時のために準備していたことがあったので致命傷にならずに済みました。

コロナウィルスの影響は、1年は受けると思っています。今、一般の人たちは「免疫」や「体力」に意識が向けられている。「自粛ムードで運動もできない」という状況です。コロナが終息すると、フィットネスブームが起きると思っています。今はその時期が来る準備をしています。

フィットネスを通して
豊かな生活を。

ネイチャーフィットネス(NATURE FITNESS)澳本伊吹

今、フィットネス業界を大きく変えるサービスの立ち上げを準備しています。まだサービス内容は言えませんが、ジムを運営して気づいたフィットネス業界の「違和感」を解決するサービスです。

新会社も立ち上げ、今は2社の社長。新会社では3年で100店舗展開を目指しています。
そのフィットネスサービスは、世界で初めてで、すごく画期的。アプリケーションと連動していて、今そのアプリケーションを作っている段階です。

僕は、ジムを開業して本当に良かったと感じています。
ネイチャーフィットネスに通う年齢層は、40代前後の女性が多いんですけれど、疾患になる前に習慣化するのが一番予防につながる。7大生活習慣病(がん・脳卒中・心筋梗塞・高血圧性疾患・糖尿病・肝硬変・慢性腎不全)は、習慣を改善することで予防できるんです。

脳梗塞や心臓病は、体脂肪率が高くなって血圧が高くなると起こる症状なのですが、ちゃんとしたトレーニングを続けると数字に出てくるんです。
お客様のトレーニングデータを見ても、エビデンスとして医学的データが見て取れる。体脂肪が下がって、血圧が下がる。確実に数字が良くなっています。「貢献できているな」とすごく実感します。

これからも、フィットネスを通して健康的で豊かな生活を送れる人を増やしていきたい。
もっともっと、フィットネスの魅力を伝えたいです。

編集後記

ネイチャーフィットネスの伊吹さんは、とにかく行動が早い。思い立ったら即行動! 圧倒的なスピード感とパッションが業界の「常識」を変えていく大きな力になっていると感じました。

取材の中でお話いただいた、伊吹さんらしいストーリーをご紹介します。

1回目、中国視察(人生初めての海外)に行ったときは、現地に翻訳機を持って行ったんですけれど、海外用のWi-Fiがないと使えないということも知らなかったんです。チェックインだけでも4時間くらいかかっちゃって。右も左も分からずに行っちゃって。

海外は困っている人を見かけても助けてくれないんです。結局分からずに空港で一人何もできない状態でした。「このままじゃ飛行機にも乗れない」。みんなパスポートを持っていたので、日本のパスポートを持っている人を探して、なんとか現地にたどり着きました。

思うだけでは何も実現しない。とにかく行動し、やり切ることの大切さを教えてくれます。