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井上ワイナリー社長 井上孝志|ワイン作りを通して高知を元気に。

井上ワイナリー社長 井上孝志|ワイン作りを通して高知を元気に。

井上ワイナリー株式会社、井上石灰工業株式会社の2社を経営する井上孝志社長を取材させていただきました。高知で新しくワイナリーを立ち上げた井上さん。ワイン作りに至った背景や、高知生まれのワインを通して、今後実現していきたいことを伺いました。

井上石灰工業の6代目として。

井上ワイナリー社長 井上孝志|ワイン作りを通して高知を元気に。

南国市稲生で生まれ育って、幼い頃から「6代目やから継ぎなさい」と言われていました。言われ過ぎて嫌になった時期もありました(笑)

祖父が生きていた頃は、工場も古かったので、夜一緒に見回りに連れて行かれたりしていました。石灰は雨に漏れたりすると、発熱してぼやになるんです。それが危ないからといことで、夜見回りに行っていたんです。
親父たちは、台風の時なんかは泊まり込みで行っていて、すごいなぁと思っていたんですけれど、泊まっている間、みんなで麻雀していて(笑) 本当に巡回しよったがやろうかと(笑) 呑気な時代もありました。

日頃は会社の人たちが家によく来て、おきゃく(宴会)をやっていました。声をかけてもらったり、遊んでもらったりしていたので、会社というものがすごく身近でした。自然に、地元の仲間と一緒に頑張ろうという気持ちが湧いてきました。

ただ、幼少に残念な出来事がありました。それは、今の原動力の一つにもなっています。
昔の石灰業は、職場に粉塵が舞っていて、いわゆる3K(きつい・きたない・危険)職場でした。

それで近所の人たちが、半分親しみを込めて「灰屋」と呼んだんです。「働き口がなかったら、灰屋にでも雇ってもらったらえいわ」とおばちゃん達が話しているのを聞いて、すごい悔しくて。「でもってなんや! しかも灰屋じゃない! 社員のみんなをそんな風に言われたくない!」と強く思って。自分が社長になったら、それを無くそうと決意しました。そのために、「社員が胸を張れる、ちゃんとした会社になろうやないか!」と。

大阪の大学を卒業後は、日本ゼオン(合成ゴムや高機能樹脂などの素材を生み出す化学メーカー)に入社しました。なぜ選んだかというと、弊社(井上石灰工業)で取り扱っている酸化亜鉛、酸化カルシウムというのがあって、ゴムの中に入っている添加薬品の一部なんです。勉強も兼ねて就職をしました。

東京、名古屋、大阪と足掛け5年くらい営業で勤務をして、27歳のときに我々の会社(井上石灰工業)に戻りました。

利便性を高めたICボルドー。

私が会社に戻ったとき、ちょうど新製品「ICボルドー(新JAS法有機農産物に使用できる農薬)」を開発し、市場に投入するタイミングでした。
「ICボルドー」の由来は、フランス生まれの「ボルドー液」からきています。くしくも1884年、井上石灰工業の創業と同じ年に、ぶどうの病気によく効く農薬として発明されました。

ボルドー液は100年以上使われてきたのですが、農家さんが、数日前から作らなければならず、また袋自体が20kgと重く、扱いにくかったため需要が減っていました。ところが、弊社(井上石灰工業)のお客様から「石灰と硫酸をどうせ混ぜ合わせるなら、予め作ったらどう?」と言われて、濃縮タイプの混ぜ合わせた「ICボルドー」を作ったわけです。それで利便性が非常に上がったので、「(手作り)ボルドー液」が「ICボルドー」として復活しました。

営業で全国を駆け回る。

それからしばらく、「ICボルドー」の営業をしました。まさにゼロから始まる段階でしたから営業と技術の人間合わせて6人ほどで、全国を飛びまわっていました。

当時、土曜は半日出勤でしたから、毎週月曜からアポイントを取って、火曜から金曜まで出張。土曜の午前は会社でMTG、午後からは残務処理。やっと日曜休み…。いつ桜が咲いたか分からんような、這いずり回るような営業をしていました(笑)

おかげさまで、「ICボルドー」が日の目を見ました。ちょうど有機栽培や安全性を言われる時代になって。石灰と硫酸銅は天然の鉱物で、世界中で100年以上使い続けられていますから、歴史からも安全性と効果が証明されるわけです。「農作物や自然に対しても優しい」ということで、みなさんにお使いいただけるような追い風にもなりました。

今では、銅を使った農薬のジャンルの中で、全国で約8割のシェアをいただくようになりました。主に使われる作物は、ぶどう、りんご、みかん、桃、果樹類関係が多い。そんなことがきっかけで、ワイン作りに結びついていったわけです。

ワイン作りのきっかけ。

井上ワイナリー社長 井上孝志|ワイン作りを通して高知を元気に。

ワイン作りのきっかけは、後にお話しするワイン作りのキーマン「志村葡萄研究所」の志村富男先生のひと言からでした。
先生とは、ICボルドーを通じて20年来の付き合いでした。でも、当時はワインを作ると考えていませんでした。たまたま先生と海外にぶどうを作るプロジェクトに参加ため、ご一緒に回っていました。そのとき、先生から「社長、自分でも作ってみたらどう?」という話がぽろっと出てきたわけです。

そのときに、「あら? まことそういや、高知で条件をクリアできるやったらおもしろいなぁ」と思ったことがワイン作りのきっかけでした。でも、まずは、私がワインが好きだったということ(笑)

第一に、弊社の元々の創業の地(南国市稲生)は、石灰の山(アルカリ寄りの土壌)があるんです。ぶどうを作るには、アルカリ寄りの土壌が適しています。フランス等のワイン生産地で作られているぶどうの土壌はアルカリ寄りの土壌が多い。そして自社で「ICボルドー」を持ち合わせている。良い条件が揃っているわけです。

ただし、一つだけ悩んだのが、長野や山梨など日本の名産地と言われるワイナリーとどう差別化するか? という点です。「珍しくて、おもしろくて、話題性もあるかもしれんけれど、高知で今頃やりはじめて、売れるろうか?」という心配もありました。

地域の食をつなげるワインを。

ワイン作りを展開していく上で、2つの可能性を見出していました。

一つは、高知には食材が豊富にある。それらの食材に合わせるワインということで、「産地産地を結びつけられるようなものにワインがならんかな」と思ったわけです。
それを、どうやって実現するか? 高知は東西に長い。例えば、室戸や安芸、山北など、その土地土地でぶどうを作る。例え同じ品種であっても、風土、土壌が違えば味が変わるわけです。
例えば、「室戸のキンメダイに合う白ワインを作ろう」「本山の土佐あかうしに合う赤ワインにしよう」「四万十うなぎに合う赤ワインを作ろうか」とか、いろいろな組み合わせがある。

もう一つは、TOSAワインが軸になり、フードツーリズム(地域ならではの食・食文化をその土地で楽しむことを目的とした旅)のように地域がつながること。実現できれば地域の人も嬉しい。高知の経済効果も上がる。そういうところに、我々が貢献できるのではないかなと思い始めました。

高知の環境に合わせた新しい品種。

井上ワイナリー社長 井上孝志|ワイン作りを通して高知を元気に。

ワインを作るにあたって、高知がぶどう作りの条件に合っているかが問題でした。それを解決する一つの要因が、品種です。ヨーロッパ産の純血の品種で作ると、高知だと特に栽培が難しい。

井上ワイナリーの品種は、主に日本在来の品種(山ぶどう)とヨーロッパ産の品種を掛け合わせています。そうすることで、雨多で高温多湿なところであっても育つという品種ができました。ただし、ヨーロッパ系の骨格はちゃんと持ち合わせている。まるっきり一緒ではないですけれど、しっかりと味と色が出る品種を手にしたわけです。

品種作りのキーマンが、先にお話した「志村葡萄研究所」の志村富男先生です。1962年創業のワインブランド「マンズワイン」にいらっしゃった方で、井上ワイナリーの栽培の指導もしてくださっています。

高知でワインを作る意義。

井上ワイナリー社長 井上孝志|ワイン作りを通して高知を元気に。

高知でのワイン作りは、そもそも「高知でぶどうが作れるがかよ?」というところからでした。当初、「高温多雨の高知でブドウ、ましてやワインなんて出来るはずがない」と言われましたが、「やれんことはない」という勝算はありました。ただし、実際はやってみないと分からないので、ぶどうの苗を植えてみたんです。

一番最初に出来たぶどうは、すごく雨が多く降った年でした。試作品を作ると、そんなに悪くない味でした。ワイン好きの方にもみてもらいました。「まだ洗練されていないけれど、味自体は悪くない」というお言葉をいただいたので、改善すべき点は改善し、生産量も増やしました。そして2015年に収穫したぶどうで、2016年にワインを作り、高知で関係者の方々をお招きして、はじめてお披露目会をしました。

高知で誰も本格的に手がけたことがないので、「これはやる意義があるな」と思いました。ワイン作りで耕作放棄地が減らせる、観光振興に結びつく、地域の活性化に結びつく、雇用が生まれる。考えていたら、どんどん出てくるわけです。これはおもしろいと。

だから我々は、ワインが売れて単純に嬉しいということではなくて、その先にあることが実現できるなら、うちの会社としてやる意義があるやないかと。ここに働きがいを感じて。みんな一生懸命に協力してくれています。

土地(地主)の人たちも、「今年はどんなワインになるろうね?」と毎年の楽しみにしてくれています。良くも悪くも、毎年味が変わる。それも一つの楽しみであって。連携を広げていこうと考えています。

自社醸造のワインが誕生。

井上ワイナリー社長 井上孝志|ワイン作りを通して高知を元気に。

2013年からワイン作りに取り組み始めたのですが、ワイン作りに時間がかかったのは、ぶどうが揃わなかったため。醸造免許をもらうために、6,000リッター(720ml × 約8300本)、単純計算で、約8トン(t)のぶどうが必要でした。

ぶどうは収穫に3年程かかりますし、一気に作れるわけではありません。都度都度、土地を提供してくださる地主さんとお話しながら進めてきました。手っ取り早くやろうとすると、県外のぶどうを買ってきて作ることもできるわけです。けれど、それだと高知のワインにならないので、高知で全部できるまで辛抱しようと決めました。

これまで肝心な醸造所がありませんでしたが、やっと約10トン(t)のぶどうを確保できるようになり、念願叶って醸造所を作る段になりました。今年(2020年)の5月から着手し、2022年にグランドオープン予定です。

土地の方と一緒にワイン作りを。

今、香北町で取り組もうとしているのは、農業と福祉の連携です。現状、ぶどう作りをするための労働力が足りていません。そこで、お年寄りなどと契約して栽培を委託したら、双方にとって良いのではと考えたのです。

出来たぶどうは、井上ワイナリーが買い上げて、生産された方に納めていただく。ワインができて売る段になったら、周辺の飲食店や宿泊施設でワインを提供してもらう。というように繋がっていけば、「こっちの畑もどう?」という話がでてきて、「地域と一緒にやって行ける流れができりゃせんかなぁ」と考えています。

別の話では、2019年に梼原町と連携協定を結びました。「ジビエ料理に合うワインを作っていきたい」という梼原町長の思いがありました。2020年の8月に着手し、うまく軌道に乗るようであれば広げていく予定です。そういった形で、徐々にワイン作りが広がっています。

井上ワイナリーの目指す未来。

井上ワイナリー社長 井上孝志|ワイン作りを通して高知を元気に。

井上ワイナリーにはコンセプトがあって、土佐戦国七雄(とさしちゆう)というのがあります。
昔、土佐には7つの豪族がいました。①安芸氏(安芸郡)、②香宗我部氏(香美郡)、③長宗我部氏(長岡郡)、④本山氏(長岡郡)、⑤吉良氏(吾川郡)、⑥大平氏(高岡郡)、⑦津野氏(高岡郡)、そして、七雄にとって盟主的存在であった一条氏(幡多郡)と別れていたので、少なくとも7カ所で7種類、赤白取り合わせで作っていきたいと考えています。

最終的な目標の一つとして、県内各地のワインが揃い始めたら、年に一回、高知の大きな広場でワインフェスをやりたい。各市町村の自慢の食材を県内の飲食店さんや、市町村代表の方に持ち寄ってもらおうと考えています。それが高知の秋口の風物詩になって、「もうそろそろ始まるね!」というくらいに定着させたら、いったん我々の役割も終わりかなという気がしてます。まぁ、10年そこらかかりますわね(笑)

我々はこれからも高知に根ざしていきます。高知から出張に行くし、県外や海外へモノも出す。高知に根差して外貨を稼いで、地元に貢献し、還元していく。これからも変わらず続けていきます。

高知を元気にする方法は、100社あれば100通りあると思うのですが、我々にできることをやっていこうと考えています。それが企業活動の原点なんです。

編集後記

井上さんは、若い方々に伝えていきたい思いがあると言います。

講演依頼を受けたり、学生さんと話をする機会があると、「自分らぁのことだけじゃなくて、あとの人のことも考えちゃってよ」とよく伝えています。
「今は僕らぁががんばる。君らぁが次の世代を担ったときには、あとのことも考えちゃってよ。つないでいかんと、あとが繋がりませんき」と。

結局、自分らぁも先代から受けた遺産で食っているようなものです。それを食いつぶすのではなくて、なるべく大きくして渡してあげないかんし、何よりもやっている姿を見ておいてほしいな、とすごく思います。

なぜかというと、はじめて就職したときに、40、50歳のおじさんたちがよく働いていたんです。なんだかんだ文句も言うけれど、ちゃんと結果も残していたし、今考えたらカッコ良かったなと思うわけです。ところが、いざ自分がその年になって、自分がそう見られているかな? と心配になったり(笑)

口であれこれ言うのではなくて、行動せないかんと。口ではなんぼでも偉いことを言えるけれど、行動せんかったら意味がない。何ちゃぁしゃべらんと行動しゆう人は、偉いと思います。行動すれば何かが変わっていきますからね。そこをつないで行ってほしいなと思います。

井上さんはとても穏やかなお人柄で、言葉の端々から気遣いとやさしさを感じました。自ら先陣を切って新たな挑戦をし、結果を出されている井上さんの姿は、20代の若者の一人である筆者から見ても「カッコイイ大人だな」と心から思います。筆者自身も、今後に良いバトンを渡せるよう邁進していきたいと思いを新たにしました。