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高知から世界に認められるシェフに。「IHARA」井原尚徳

高知から世界に認められるシェフに。「IHARA」井原尚徳

ミシュランと並ぶ強い影響力を持つフランス発祥のレストランガイド「Gault et Millau(ゴ・エ・ミヨ)」に、四国で初めて2020、2021と二年連続で選ばれた井原尚徳シェフ。
2022年3月にオープンしたイノベーティブ・レストラン「IHARA」は予約殺到の人気ぶり! 高知屈指の料理人 井原シェフにこれまで歩んできた半生を取材させていただきました。

音楽に夢中だった幼少期

高知から世界に認められるシェフに。「IHARA」井原尚徳

学生の頃は、友達と遊ぶ方が楽しくて、学校をサボって親によく怒られました。器用貧乏で、真面目ではなかったです。

母親がピアノの先生だったので、中学卒業まではピアノを習っていましたが、僕はそれがすごく嫌でした。今思えば、しっかりピアノもやっておけば良かったなと思いますが、当時は嫌で嫌で仕方なかったです(笑)

音楽自体は好きで、中学からはギターを始めました。反社会的で自由に表現できるところに惹かれたんです。ピアノはクラシックとジャズ、ギターは70〜80年代のロックを弾いていました。

食への関心が高まってきたのは高校卒業してちょっとしてから。最初は、「一人暮らしで料理ができたら困らないだろうな」という安易な考えでした(笑)

バイトで稼いだお金で海外へ。

両親は厳しく、基本的に金銭的なサポートも期待できなかったので、高校在学中からバイトをしていました。

卒業後はお金を貯めようと思って、バイトを4つ掛け持ち、睡眠時間を削りながら1年間ほど働いていました。週1日だけは完全にオフの日を作ってましたが、3つは飲食店、1つは夜中のビデオ屋でバイトしていました。

お金を稼ぎたかった理由は、「お金を貯めたい」以外の明確な目的はなかったです。後々困らないように、「自力で稼ぐ力を身につけたい」という思いが強かったように思います。

最初に渡航したのは19歳のとき。現地の食文化に触れたいと思って、一人旅でカンボジア、ベトナム、タイ、シンガポールなど、東南アジアを周りました。実際に行ってみて、東南アジアの食は僕には合いませんでした(笑) ただ、現地の食文化に触れられたことは経験として大きかったです。

リハビリ学校へ進学するも中退。

高知から世界に認められるシェフに。「IHARA」井原尚徳

高校卒業して1年後に、奨学金で4年制のリハビリテーション専門学校へ進学しました。祖母が病気だったこともあって、そういう仕事に就けば困らないだろうという安易な考えでした。ところが、自分に合ってないと感じて2年目に辞めてしまいました(笑)

中退すると、周りの人たちからドロップアウト組のような目で見られました。親からも「仕事ないやろ」と言われて。
手に職が必要な時代だったので、「周りを見返したい」「誰にも負けたくない」「認めさせたい」「有名になりたい」という気持ちが人一倍強かったです。そういう背景があったからこそ、よりハングリーになれたんだと思います。

もう一度料理の道に戻り、「これ一本で行こう」と覚悟を決めました。

料理は向き合うほど
惹き込まれる。

高知から世界に認められるシェフに。「IHARA」井原尚徳

料理の魅力は、自由でクリエイティブなところ。料理は基本的なことを知っておけば、作れないものはない。もちろん勉強は必要なんですけど、僕は苦ではなかったです。料理が好きだったからこそだと思います。

出汁ひとつとっても、知らなければ美味しい出汁を取ることができない。基礎があった上で、知識が増えれば増えるほど、表現の幅が広がって、さらに料理の可能性が広がっていく楽しさがあります。

食材との向き合い方も大切で、いかに向き合うか。向き合うほどに、料理の奥深さに惹き込まれていきました。

料理に惹かれたのは、「料理ができたらカッコイイな」というのと、やり始めたら「知りたいという欲求がどんどん出てきた」というのが大きいです。一つのことに対して知りたい欲求が止まらない。好奇心は人よりも強いと思います。

知れば知るほど、目指したい料理を作れない自分が嫌になる。専門書を読んでも思うような料理が作れず、当時は周りに聞いても分かる人がいなかったので、ずっと独学で勉強してました。

これまでラーメン屋やカフェ、元ホテルシェフが営む創作居酒屋やフレンチ出身のシェフが営むイタリアンレストランで働かせてもらっていました。
ただ、どのお店も化学調味料や添加物を使っていました。それが嫌でちゃんとしたところで働きたいと思って転職を決めました。

高知No.1のお店に入店するも…

高知から世界に認められるシェフに。「IHARA」井原尚徳

今は閉店していますが、当時、高知でNo.1と言われるスゴいお店がありました。「Villa・Vitis(ヴィラ・ヴィティス)」松本洋明オーナーシェフ(※以下松本シェフ)の元で、どうしても雇っていただきたくて「お金はいらないんで雇ってください」と直談判。雇っていただけることになり、結局、お給料もくださいました。

お店には入れていただいたのですが、松本シェフに2年以上キツく当たれました。今振り返ると僕は生意気だったんだと思います(笑) 例えば、松本シェフがとってほしい物が僕の近くにあるのに、わざわざ遠くにいるスタッフに声をかけたり。本当に嫌われていました(笑)

仕込みも「みたら分かるやろ」みたいな感じ。あまりにムカついて、「必ず認めさせてやろう!」「 いつかチャンスが来るだろう」と思って仕事をしていました。
そのチャンスが来た時に逃すのも嫌で、終業後にキッチンに戻って創作してみたり。捨てた骨を集めて料理したり。こっそりお店の食材を使ったり(笑)  2年間、料理に向き合い続けていました。

それでも、松本シェフの料理はすごく美味しくて好きだったんです。センスの塊というか、群を抜いてました。今でも東京のシェフにも引けを取らないほどの腕を持っている方だと思っています。

働き始めて2年が過ぎたある日、お店が本当に忙しく、どうしても僕に声をかけざるを得ない状況になりました。松本シェフから「できるか?」と聞かれて、「できます」と。結果、期待に応えることができてチャンスを掴めました! 

そこから僕と向き合ってくれ始めて、仕事も任せてくれるようになりました。気がつくと、仕事でいっぱいになってました。

やる仕事が多いとしんどいという人もいると思うんですけど、僕からすると仕事があることが幸せ。仕事がないしんどさよりは、ある方がいいかなと思います。

本場の食材と
地元の食材との葛藤。

高知から世界に認められるシェフに。「IHARA」井原尚徳

松本シェフの元で3年半働いた後、料理修行のために単身でイタリアへ渡航しました。1ヶ月間、星付きレストランにおじゃまして厨房を見せていただいたり、現地の市場を巡ったりしていました。イタリアは総じて素材のレベルが高かったのが印象的です。

イタリアから帰国後、土佐市にある「ヴィラ サントリーニ」のオーナーから「うちに来ませんか?」とお誘いをいただきました。オーナーとお話して、「井原くんの好きにして良い」と言ってくださり、コースや金額を一新。その後も手を加えて、お店の売上は3倍増になりました。

今でこそ、「高知の食材はスゴい」という思いがありますが、当時は地元の食材には全く目を向けていませんでした。

当初、ヴィラサントリーニでシェフをしていたとき、豚はイベリコ豚を使っていました。イタリア産のイベリコ豚の美味しさは地元になくて。その他の食材も海外産に頼っていた面がありました。

地元には「四万十ポーク」という豚があるのですが、向こうの豚が美味しいと思っていました。けれど、僕自身「高知にしかない食材で勝負できていない」という葛藤もありました。

そんな葛藤を抱えながら仕事をしていた折、ヴィラサントリーニで開催したイベントで出会ったあるパン職人の方と出会って考え方が180度変わりました。そこから一切、海外の食材は使わなくなりました。

価値観を変える衝撃的な出会い。

高知から世界に認められるシェフに。「IHARA」井原尚徳

ヴィラサントリーニに大阪から来てくださったパン職人さんで、世界一のレストラン「NOMA(ノーマ)」に認めらたパンを作る、日本を代表するパン職人「Le Sucre-Coeur(ル・シュクレクール)」の岩永歩さんでした。

その方は、ご自身で作られたパンを持ってこられていて。「このパンをお客さんに出してくれ」と言うんです。正直、「いやいや、この人は何を言ってるんだ?」と僕たち厨房スタッフは戸惑いました。むしろ第一印象は悪かったのですが、そのパンを食べて、岩永さんの話を聞いて、料理に対する考え方が一変しました。

本場イタリアには醤油も味噌もないため、僕は醤油や味噌を使うことにも抵抗がありました。ですが、岩永さんは「例えばイタリアに醤油や味噌があるならイタリア人は使う。それが美味くて必要だと思うのなら使えばいいじゃないか。そこで制限をかけてることの方が間違ってないか?」と言われて、僕からすると目から鱗というか、ハッとさせられた言葉でした。

その岩永さんは想像を絶するようなストイックさで、自分の未熟さを反省させられました。僕が「自分は全然大したことないです」と言うと、「それを言っている時点でダメだ! それはただの言い訳にしかすぎない。もっと自分を追い込め!」と一喝されて。僕が当時29歳のときでした。

ヴィラサントリーニは、県外から来られる方がメイン。少しでも「地元の食材を知ってもらいたい」という思いから、生産者さんのバックブラウンドを知って料理するようになりました。

その方が、僕や生産者さんの思いを皿に乗せることができる。僕自身、今まで知らなかった高知のことを知るきっかけにもなりました。県外の方は「高知にこんな食材があるんだ!」と喜ぶ姿は増えたように思います。

学びを深めるため
フランスの2つ星へ。

2019年、ヴィラサントリーニの新館を作るとき、お店を一旦閉めるタイミングでフランスへ渡航。既にフランスで働くレストランは決めていました。

シャンパーニュ地方にあるミシュランの2つ星レストラン「Chateau Les Crayeres(シャトー・レ・クレイエール)」です。以前そこで食べた料理に感動して、「1〜2ヶ月ほど研修生として雇ってほしい」と事前に連絡していたんです。

渡航前にフランス語を勉強していましたが、言葉の壁は大きかった。けれど、仕事の内容やコミュニケーションも含めて、楽しく学ばさせてもらいました。

「ミシュランの星付きになると、こんな細部にまで気を使うんだ!」と衝撃を受けたのを今でも鮮明に覚えています。仕事に対する姿勢も目を見張るものがありました。料理人はもちろん、サービスマンもお店のスタッフが総じてハングリー。まだまだ勉強が足りないなと自分の未熟さを痛感しました。

掃除ひとつとっても全くレベルが違いました。とにかく、見えないところまで徹底的に綺麗にする。
例えると自衛隊です。とにかくスピード、スピード、スピード!  仕込みも掃除も、オンオフのメリハリが凄かった。常に営業中はスーシェフ(副料理長)がオーダーを読み上げるのですが、常にピリついた空気があって、今までで一番凄かったです。

特に驚いたのが、下っ端の調理スタッフが菊芋の皮を剥くスピードが見たこともない速さ! ただの皮むきなんですけど、考えられないような速さと精度でした。ニョッキを丸めるにしても、綺麗で尚且つ速い。

神経が研ぎ澄まされていて、速さと綺麗さの両立には本当に驚きました。確実な精度と速さが求めらる現場で、学ぶところが多かったです。

ゴ・エ・ミヨ に2年連続で選出!

高知から世界に認められるシェフに。「IHARA」井原尚徳

ヴィラサントリーニの新館ができる頃には、自分の店を持ちたいと思うようになっていました。その前に、「ミシュラン」か「ゴ・エ・ミヨ」を獲って、目に見える評価をいただいてから辞めたいなと思っていました。

そして2020年、2021年と四国で初めて「ゴ・エ・ミヨ」に2年連続で選出され、どちらも県内での最高得点を獲得しました。ヴィラサントリーニのオーナー、スタッフの方々には感謝しかないです。29歳から8年間お世話になりました。

「ゴ・エ・ミヨ」に選出されてからは、JALファーストクラスの機内食を監修させていただきました。そのおかげもあり、周りの方々からも評価をいただき、知名度も一気に上がりました。その他、空弁の監修や国際線ファーストクラスラウンジのメニュー開発にも携わらせていただきました。

そして、田野屋塩二郎さんとコラボした「木鶏 MOKKEI」が、地方に隠された名品を選ぶ「にっぽんの宝物」グランプリを受賞。「Calbee(カルビー)」のYouTube撮影に呼んでいただいたり、大手企業からもお声がけいただくようになりました。

認知度も周りの見る目も変わってきたのですが、大きな心境の変化はなく。常に不安でした。もちろん、ベストな料理を提供しているのですが、「模索できていない余白や組み合わせがあるんじゃないか?」と常に考えています。

自分が知りたい欲求や新しい発見をしたときの嬉しさ、一緒に共有できるお客様がいることの嬉しさもありますが、不安と嬉しさは6対4で不安の方が大きいです。

世界から高知へ
わざわざくるお店に。

高知から世界に認められるシェフに。「IHARA」井原尚徳

2021年には、料理人のM−1グランプリ「ドラゴンシェフ2021」の高知県代表として出場し、結果も出すことができました。
上に上がれば上がるほど、「いかに地元の魅力を知ってもらうか」というスタンスで料理している人が多かったです。

「お金は出すから東京でお店を出さないか」という話も何件かいただいていたこともあり、最初は東京でお店を出そうかと考えていました。東京で「ミシュラン」を獲って、高知でお店を出したらカッコ良いかなと思ってました(笑)

「ゴ・エ・ミヨ」も高知に来たので、これからは「ミシュラン」を高知に呼びたい。自治体や県に自ら働きかけをして、高知を活性化させていきたいという思いから東京は辞めました。

目の前のお客さんを大切にすることはもちろんなのですが、料理人としては「ミシュラン」で星を取り、もっと高みを目指していきます。界中から、わざわざ高知へ行きたくなるような店にすることが今の目標です。

不安に駆られながらも
料理と向き合う。

高知から世界に認められるシェフに。「IHARA」井原尚徳

常に怯えて不安を抱えていますが、不安が良いモチベーションになっています。

僕はずっとこのスタイルで、「本当に大丈夫かな?」と不安に思っていたんですけど、ある記事を読んでいたら、世界的に有名な三つ星レストランのシェフも「常に不安を抱えながら料理をしている」というのを読みました。
同じと言うとおこがましいのですが、「このスタイルでもいいんだ」と安心して、ある意味救われました。

2022年3月にオープンした「IHARA」は、イノベーティブというジャンル。一つのジャンルに縛られず、時代の流れや僕の考えを汲んだ料理を提供しています。お客さんとの距離が近く、生産者のバックグラウンドや料理のことを丁寧に伝えたいという思いから、カウンター席がメインとなっています。

料理が美味しいのは当たり前。「どれだけ楽しんでもらえるか」を大切に、作り手の思いもちゃんと届けていきたい。高知に根ざしているからこそ、地元の食材の良さを伝えたいと考えています。

一般的なレストランとは違うので、店名にも「レストラン」は付けていません。
新しい食事の楽しみ方を知って、発見と驚きを味わっていただきたいです。

編集後記

高知から世界に認められるシェフに。「IHARA」井原尚徳

一つ一つ妥協を許さず、料理に向き合い続け、常に模索している姿勢には感銘を受けました。

「IHARA」をオープンした井原シェフは「これからもお客さん来てくれるか心配です。生活できるか、毎日怖くなってます(笑)」と冗談混じりに笑いますが、その目の奥には野心の火が燃えていました。

「IHARA」は、井原シェフの「リラックスして食事を楽しんでほしい」と言う思いから靴を脱いで入店するようになっています。
店内は木の温もりを感じる和空間で、あちこちに遊び心が散りばめられています。カウンター席の他、4人席の個室も1部屋あります。海外のお客さんが来たときも日本らしさを感じてもらえるよう、床は畳仕様で自然とリラックスできます。

井原シェフとの会話や調理の様子を楽しみながら、五感で食を味わえる贅沢なお店。高知に住んでいる人も来高される方も、一度は体験してほしいです。

井原シェフは、今のお店が軌道に乗れば、新しいことにもチャレンジしていきたいと今後の展望についても話してくださいました。これからの井原シェフの活躍にも乞うご期待!