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かっこいい魚屋であり続ける。上町池澤本店 / 池澤秀郎

龍馬の生まれた上町で創業150年を超える魚屋「上町池澤本店」5代目の池澤秀郎さん。テレビや雑誌など多数のメディアに取り上げられ、累計80万個以上を売り上げる「土佐の赤かつお」を開発。飲食店も複数展開しています。順風満帆に見える池澤さんですが、今に至るまでにはいくつもの困難がありました。その背景にはどんな物語があったのか? お話を伺いました。

魚に興味もなく、ごく平凡な少年。

代々受け継がれれてきた魚屋「上町池澤本店」の跡取り息子として生まれました。
親も働きずめで、実家に帰っても誰もいないので、小学校から帰ったらずっと魚屋に入り浸っていました。

目立たず騒がず、人見知りでした。中学時代は、家にこもってゲームばかり。 魚にも詳しくなく、両親が何をしているかも知りませんでした。
中高生の頃は、興味のあることに手をつけては、すぐに飽きて辞めてしまう。続くものがありませんでしたね。

叔父が4代目なのですが、親父は経営者になるつもりはなかったようで、僕が高校の頃には「代を継がせたい」と言われていました。
大学は大阪にある経済学部に入学。特段商売にも経済にも興味はなく、ただ「楽だから」という理由で学部選びました。

 

インターネットの衝撃。

1995年、大学3年の夏に「Windows95」がリリースされ、「インターネット」という言葉がはじめて出てきた時期でした。 友達と軽いノリで「インターネットしに行こうぜ!」と、大学のパソコン室に入って「 Yahoo!」でいろいろ見ていたら、「やぎの目」という日記を書いているブログを見つけました。

「やぎの目」は、1日に数万アクセスを記録していたんです! ただのおっさんが書いているブログが、数万人にも見られていることに衝撃を受けました。

それまでは、何か発信しようと思ったら本か雑誌か、テレビや新聞くらい。
それに変わるものが出てきたので、「すごい! これは面白いぞ!」と思って、インターネットにのめり込みました。

 

ITの業界でスキルを磨く。

上町池澤本店 / 池澤秀郎大学を卒業後、ITの会社に就職。入った会社が悪かったのか、半年で倒産。
そこから一部上場企業にM&A(合併と買収)で上場企業の社員になり、上司に恵まれシゴかれました。

26歳のとき仕事は面白かったのですが、50〜60代の先輩方が徹夜しているのを見て、「これは一生やる仕事じゃないな」とIT業界で働くことに限界を感じていました。

その頃から自分でネットを使って商売したり、実家のホームページを作って販売したりと、商売の面白さを感じていました。

元々、跡取り息子として生まれてきているので、心のどこかに「帰らないかん」という思いがありました。
30歳には帰ると決め、それまでは自力をつけるためにマーケティングやマネジメントを学び、30歳の時に帰省しました。

 

一から魚屋を学ぶ。

実家に帰省すると、お店の経営状態は良好かと思っていたのですが、状況は思っていたよりも悪かったのです。
従業員も10数人もいて、食うに困るレベルではありませんでしたが、儲かってる会社ではなかったことに気づきました。

完全なるブラック企業でしたし、昔からいた社員の頑張りによってなんとか成り立っていて、「世代交代したらつぶれる…」という状況でした。
とはいえ、自分は魚を知らないし捌けもしない。なんせ職人ばかりの職場なので、仕事のできない人は何も口出しできない業界です。まずは仕事を覚えようと、黙々と魚を捌いていました。

一から知識や技術を身につけるのは簡単ではありませんでしたが、次第にみんなと話ができるようになってきました。

 

目指すべき指標ができた。

上町池澤本店 / 池澤秀郎次のステップとして、親父のやってきたことを学ぶため市場で仕入れを始めました。
慣れてきてからは、自分で仕入れられるようになりましたが、まだ代を引き継いだわけではありませんでした。

そこから僕が提案し、会社の経営理念を作りました。 「将来の夢は、魚屋さん」と子供たちに言われるようなかっこいい魚屋であり続ける。というものです。
「これを実現させるためには、どうすればいいか?」と考えると、僕は「テレビに出ればいい」と思いつきました。

テレビや新聞に出ている人って、子どもは単純にカッコ良いと思うんじゃないかと(笑)
それが近道と思ったので、「取り上げられるためにはどうしたらいいか?」と考え、新たな事業を始めました。32歳の頃でした。

 

NHKに取り上げられたことを皮切りに。

最初、配達車にQRコードを貼り付けて福引できるという仕組みを作りました。
内部のプログラミングを自作し、「QRを読み込むと福引ができて、刺身と交換できる」というキャンペーンを作り、プレスリリースをしたら、一番最初に全国放送のNHKに取り上げられたんです!

アイデアを考えるのが好きなので、四六時中考えています。その中から良いものを引っ張ってくる感じ。もちろん、失敗する例もたくさんあります。 

他の業界では当たり前にやっていることも、魚屋がやると斬新になる。
SNSでモノを売るのも、他の業界では普通のこと。
けれど、魚屋でやっている店はないからニュースになる。プレスリリースも毎回行っています。

全国放送のNHKに取り上げられたことで、僕の子供も見て喜んでいて、お客さんからも良い反応をもらえました。
これは方向性として間違っていないなと確信したのです。

右も左も分からない中、
始まった商品開発。

上町池澤本店 / 池澤秀郎2011年には、池澤本店の技術が詰まったかつおの煮物をアレンジし、初めての流通商品「土佐の赤かつお」を作りました。

もともと魚屋なので、賞味期限が短い商材しかなく、実店舗かネットで販売するか、飲食店に卸売するしかありませんでした。
お土産物屋さんにも(サバの姿寿司などを)取り扱ってもらっていましたが、賞味期限が短いのでロスばかり出ていたんです。せめて数ヶ月持つ商品を作らないといけないと模索していると、たまたま食べるラー油が流行っていました。

それを見て、「ご当地ラー油のようなモノを作ろう」と思い立ちました。店舗の惣菜コーナーに、マグロなどを芯にして昆布を巻いて、甘辛く煮付けている「こぶまき」という商品があったんです。
この商品から着想し、カツオの芯を具材にして試作すると、「あ!これはウマい!」と商品化するために動き始めました。

けれど、商品にしようと思うとめちゃくちゃ難しくて。ただビンに詰めるだけなら3,4日で痛む。
「どうすればいいだろう?」「そもそも、食品の賞味期限てどうやって決めてるんだろう?」と右も左も分からない状態でした。

最初はラベルもプリンターで印刷して、両面テープで貼り付けている。というような形で手作り感満載でした(笑)
そんなところからのスタートで、味自体はすぐにできたのですが、商品化するまでに半年かかりました。

 

「土佐の赤かつお」が爆発的に売れる。

ようやくできた「土佐の赤かつお」でしたが、寿司を販売してもらっていたお土産物屋さんで販売し、1日に5個前後売れる程度でした。

そんなとき、島田紳助さんがプロデュースしていた「めし友グランプリ」に出品募集しているという話を社員から聞き、調べてみると「めし友になりそうなものを応募してほしい」という内容で、ダメ元で応募してみました。

その後、TBSから「作っているところを撮らしてほしい」と連絡がきました。2時間ほど撮影後、「インタビューさせてください」と言うんです。

そこで「実は360数品の中から、24品に選べれてますと」告げられました。「えぇ!!??」と驚いてしまって(笑)
TBSさんの思惑通りのリアクションをしてしまいました(笑)

「次はスタジオに来てください」と言われ、その後1次予選に受かり、2次予選で地域ブロック代表を決める2時間ゴールデン番組に出て、中四国代表でグランプリ(日本一)に!

番組放送中に、「土佐の赤かつお」がネットで4万個売れたんです!
サーバーは落ちるし、どう頑張っても1日に50個程度しか作れない調理場だったので、「これは無理だ…」と思ってオーダーストップ。

電話も鳴りっぱなしで、電話を切った瞬間に、また鳴るような状況でした。
「このままだと、エライことになる…!」と思い、親戚のツテをたどって、高知市内のお味噌屋さんに依頼することに。ただ鍋も通常の10倍のサイズなので味が狂うんです。 結果的に製造するのに約3ヶ月かかりました。

その間、1日50個を作り、バックオーダーも4万個ある。店にお客さんが来ても売るものがないので、かなり大変でした。

 

さらに、高知人に火がつく。

上町池澤本店 / 池澤秀郎落ち着く間もなく、高知新聞に「めし友グランプリ、1位になりました!」と取り上げられ、今度は高知人に火がついて、延べ2,000人が来店したんです。
でも売るものがないので、めっちゃ怒って帰られて(笑) 当然、買ってくれた方からも催促の電話が来るしで、目が回るほど忙しかったです。

これまでもネットで売れたり、テレビに取り上げられたりしていたのですが、店に2,000人も来ることがなかったので、社員のみんなは「これはどうやらスゴいことになっている!」と感じたんだと思います。

そこから社員の意識が変わり、会社の雰囲気も一変しました。
それまで僕が商品を作っても見向きもされなかったのですが、社員も店以外でも聞かれるもんだから、商品知識もつけるようになったんです。

「土佐の赤かつお」が当たったおかげで、ダラダラと伸び伸びになっていた代替わりもスムーズにいき、5代目として着任しました。

 

ブラック企業から、儲かる企業へ。

それまでウチの商売は、病院や老人ホーム、小学校の給食の加工の請負をしていることが多かったんです。
手間がかかる割に、利益率の良くない仕事が売上の多くの割合を占めていたので、危機感を覚えたことが企業改革の始まりでした。

「土佐の赤かつお」の商品開発もそうなのですが、「利益率を上げながら、手間を減らしたい」と思いました。

飲食店のお客さんなら捌く手間もかりませんし、一回に買ってくれる量も多いので、飲食店のお客さんを増やす方向に舵を切りました。
僕は 「facebook」を通して、飲食店さん向けに情報を発信するようになり、全国で200件以上の卸先を掴むことができました。今では一回メールを出すと、数十万円と売れるときもあります。最初は「またわけのわからん魚買うて来てる」と否定的だった職人たちも、売れていくという事実に今ではとても協力的になりました。 

今までカツオ以外の魚が売れない店だったのですが、今では良いと思った多種多様な魚を案内する先が増え、利益を出しやすい体質に変わってきました。

おかげで「忙しいだけで、儲かっていないブラック企業」から脱却する足がかりができ、やっと8時間で求人も出せるようになりました。「土佐の赤かつお」の影響も大きいです。
大変な時期も支えてくれた社員達には感謝しています。

 

波に乗っているときこそ、
次への変化を。

やっと会社が良い方向になってきたので、これからもう一度、変化させていきたい。

良い波が来ているときに、その波に乗る。ひと段落つく前に、もう一度変化させていく。
その繰り返しで、なんとか企業体質も改善されてきた感じですね(笑)

みんな(社員)をまともな労働時間で雇えるようになってきたので、次は週休2日制にして、労働時間もさらに少なくして、給料も上げていきたい。
「儲けない仕事を、自分の子どもにもさせたくない」という思いがありますし、長時間労働して疲弊している会社ではなく、楽しく働ける職場にしていきたいと考えています。

 

カッコ良い魚屋で
あり続けるために。

上町池澤本店 / 池澤秀郎自社で飲食店も経営していて「ヤ・シィパーク」「ひろめ市場」にも出店しています。
この2店舗を通じて、良い魚を食べてもらう趣旨で運営しています。

今年はチャンジの年。翌年はいかに繁盛店にするかに注力しつつ、一つ一つの精度を高めていきます。

そして原点に立ち返り、「いかに人に来てもらえれるか?」「メディアに取り上げられるか?」を戦略的に考えた広報企画を進めています。

これからも、 「将来の夢は、魚屋さん」と子供たちに言われるようなかっこいい魚屋であり続ける。
という経営理念を体現するために、着実に実現していきます。


編集後記

池澤さんは「高知の商品は良いものもたくさんあるけれど、県外でいまいち売れない」と言います。
県外スーパーなどは、小ロットでの取り扱いが多く、メーカー側の送料負担が大きいのです。
 
その問題を解決するために、高知の他社商品と抱き合わせで配送し、配送コストを抑える仕組みを企画しているそうです。
一つの商品を小ロットでも送れるようになると物流が変わってくる。

池澤さんは、自社商品だけでなく、高知の「えいもん」を県外に売り込んでいくためにも意欲的でした。

 

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