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土佐町の「旅の絵描き」アーティスト 川原将太

旅の絵描き|川原将太

絵描きや陶芸のアーティストとして活動されている川原将太さん。海外でWWOOFerとして6年半旅をしながら絵描きをしてきました。1箇所に3ヶ月以上留まらない生活を長年続けてきて、現在は高知県土佐郡土佐町でアトリエを構え、2年以上定住しています。海外も転々としてきて、なぜ2年以上も土佐町に?町の魅力やアーティストとしての生き樣を伺いました。
 

生まれた時から、
「旅の絵描き」

旅の絵描き|川原将太小さい頃に「将来何になりたい?」と聞かれますよね。女の子ならお姫様とかお花屋さん、男の子ならサッカー選手やスーパーヒーローとかのレベルで、もうすでに「旅の絵描き」と言っていました。
 それもただの「絵描き」「旅人」ではなくて、「旅の絵描き」なんです(笑)
 
だからといって、周りに旅好きの人がいたり、親が絵描きでもなかったんです。
自分でもなんでそんなものになりたいと思ったのかが、未だに分かりません(笑)
 
まず一番最初に「“旅の絵描き”になりたい」があって、そこから漫画やアニメを見るようになりました。
ムーミンのスナフキンを見て、「あっこれ自分に近い!」とかサッカーのキャプテン翼では、みんなが翼や日向が好きと言っている中で、すごいマイナーな岬のお父さん(旅の絵描き)が密かに好きでした(笑)
 
 
 

全てが新鮮な美大生時代

旅の絵描き|川原将太
大学に進学するまでは美術を専攻することもなく、高校ではラグビーをしていました。
部活以外では絵を描いたり物を作ったり、手先を使うことはずっと好きでした。
 
その後、美大へ進学。アーティストとしてのキャリアは美大へ入学してからです。
そこから、どんどんのめり込んで言って、自分の作品も作るようになって行きました。

美大時代はいろんなことに挑戦したんです。風景や人物、抽象画、立体作品と、とにかく試す時期だったんですね。実験的なことをやって、常に学ぶ。

当時から数えて絵は20年以上描いてきて、磨かれたり削られたりもするんですけれど、結局生まれ持った「自分らしさ」が残ってきたと感じています。
 

  

方向性に迷う

旅の絵描き|川原将太美大を卒業後は3Dアニメの会社に興味が湧いて、東京に引っ越したんです。職場見学や人の話も聞いたのですが、「やっぱり違うな」と感じて作品作りに注力。
 
その後は4年程、東京と千葉に暮らしながらフリーターをしていました。月の半分はアルバイト、半分は絵を描く。その頃は、自分の中で暗黒時代でした。
 
「いつまでバイトしながら絵を描くんやろ」と悩んでいました。めちゃくちゃしんどかったですね。
側から見たらバイトして稼いでいるし、好きな絵も描いているし良さそうなのですが、自分の中では「旅の絵描き」になりたい。「あぁ、旅に出たい」と。(笑)