高知市で生まれ育ち、京都で16年間にわたり料理人として腕を磨いた近藤大地さん。京都の名立たるレストランや調理師学校の臨時教員、さらには外資系ホテルでも活躍し、幅広い料理スタイルを習得してきました。
そんな彼が2024年8月、新たな一歩として「UZU K」をスタート。店舗を持たず、出張型で料理を届けるこのレストランは、ただ食べるだけではなく、料理を通してコミュニティを生み出すことを目指しています。高知と京都、そして世界をつなぐ――その挑戦に迫りました。
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自然と芽生えた料理への情熱
子どもの頃から、やると決めたら突っ走る性格で、5歳の時には朝倉の家からイオン高知旭町店(旧サティ)まで約4kmを一人で歩いて行ってたらしいです(笑)
母は親戚が集まると、一人で全部料理を作っていて、私はそういう場が好きだったんです。みんなが食べてる間もずっと作り続ける母の姿が当たり前で、自分も自然と料理に興味を持つようになり、物心ついたときから「将来は料理人になる」と決めていました。
母は仕事で帰宅が遅く、小学校終わりに公園で遊び疲れて、お腹を空かせた私は自分でご飯を作っていました。
卵焼きやチャーハンにハマって、家にある卵を全部使い切ったりして(笑)。夜中に料理番組を見て「これ作りたい」と思ったら、コンビニまで走って材料を買ってきて料理していました。
南中学校の一期生で、そのまま高校まで進学。中学からテニス部に入部し、高校ではインターハイにも団体で出場。やっぱり一つのことに集中すると、のめり込んでしまうんです。
高校を卒業してすぐ、京都の落ち着いた雰囲気が好きで、京都の調理師専門学校に進みました。
昼夜の学びに没頭した日々
実際に調理師専門学校に入ってみると、想像とは違うなと思いました。私は地元の高知を離れて、志を持って一人で京都に来てたんです。京都は高知の田舎者からすると都会だから、少しビビりつつも「やる気のある人が集まってるんだろう」と思ってました。
私が入ったのは、さらに深掘りする2年制の上級科コースで、学費も大学に通うくらいかかるんです。でも蓋を開けてみたら、そこにいたのは志しを持った人ばかりではなく、温度差を感じて先生にも反発するようになってました。
熱血タイプの先生に「周りともっとコミュニケーションをとりなさい」と強く言われたんですけど、「所詮、学校でしょ。もっと真面目にやりましょうよ」なんて反発してましたね(笑)。でも、その分「誰よりも吸収してやる!」と決めて、一生懸命学びました。
2年目には、夜間1.5年制の製菓学校にも通い始めました。昼も夜もずっと勉強して、「早く一人前になりたい」と焦ってましたね。周りからは「料理人は、10年は下積みしなきゃだめだぞ」なんて言われましたけど、「そんなのやってられるか!」って感じで(笑)、とにかく学べることは全部詰め込んでました。
入社半年で全国大会へ
卒業後、フレンチレストランの東京支店もある大きなグループ会社に入りました。ここでは出張料理やケータリング、婚礼、レストラン運営など、幅広いジャンルを5年かけて一気に学びました。
半分死ぬんじゃないかと思うくらい働いてましたね(笑)。家に帰る頃にはもう記憶がないこともあって、鞄を背負ったまま玄関で寝てしまうなんてこともありました。
入社して半年で、全国の若手料理人を競う「トック・ドール料理コンテスト」に先輩と一緒に参加することになり、京都と滋賀の地区大会で私がまさかの2位になりました。1位の人が全国大会に出る予定だったんですけど、辞退したことで繰り上げで私が全国大会に進むことに。入社半年でそんな経験ができるなんて思ってもいませんでした。
その結果や働きぶりが評価されて、総料理長にも気に入られ、“ストーブ前”という火を使う重要なポジションを任せてもらえることになりました。それまでの”洗い場”や”前菜”の仕事も、通常なら数年かかるポジションを入社8ヶ月で飛び級で任されました。急にやることが増えて、料理の技術を吸収する日々。
毎日が新しいことの連続で、「分からないけどやらなきゃいけない」という状況の連続でしたね。自分が動かないと周りが進まないので、現場で働くだけじゃなく、家でも勉強して、次の日のレシピも考えたり。そんなプレッシャーもありましたが、逆にそれが楽しくて、充実した日々を過ごしていました。
22歳で挑んだ日本代表の大舞台
2012年、「世界料理オリンピック」の日本代表チームに選ばれました。競技は「レストラン競技」と「コールドディスプレイ競技」に分かれていて、世界司厨士協会連盟に加盟する団体から全国の優秀な料理長が集まりました。
その中でも、料理長や総料理長が揃うメンバーに、当時22歳の私がアシスタントシェフとして加わったんです。社内ではやっかみもありましたが、それでも総料理長が私を選んでくれたことには感謝しています。
この5年間で、同じレストラングループで働いていたパティシエの妻と出会い、23歳で結婚。結婚式はそのグループの結婚式場で、自分が考えたメニューを出しました。そして翌年、娘が生まれ、仕事もプライベートも全力で走り続ける怒涛の日々が始まりました。
まるで人生が早送りされているような感覚でしたが、その経験があるからこそ、どんな辛さも乗り越えられる自信があります。
アジアの舞台でトップ3入り
その後、「Hyatt Regency Kyoto(ハイアットリージェンシー京都)」に行くことになるのですが、その前にレストラングループのシェフが独立することになり、私も一緒に引き抜かれました。そのタイミングで先に会社を辞め、調理師学校の臨時教員として実習も担当していました。
京都にいる間、せっかくなら地元の生産者や食材に触れたいと思い、お茶屋さんで働くことにしたんです。ちょうど新茶の時期だったので、自分から連絡してお茶摘みのバイトもさせてもらいました。
その時から「このお茶でいつか商品を作る」と生産者の方に約束していたんです。そして、その約束を今年、9年越しに形にすることができました。今、UZU Kでも提供している抹茶テリーヌは、その思いから生まれたものです。
その後、大阪で独立したシェフの元で働いたものの、開業してわずか半年ほどで規模を縮小することに。仕事は終了しましたが、新たな経験を得ることができました。
そして、「Hyatt Regency Kyoto」に入社し、薪を使った料理でこれまでとは異なった調理法を学びました。2019年には、Hyatt主催の「THE GOOD TASTE SERIES」という世界大会に参加。京都の予選で優勝し、続く東京の全国大会でも勝ち抜きました。
さらに、マカオで開催されたアジア大会にも出場。中国や韓国、サイパン、グアムなどから集まったシェフたちとの競技でトップ3に入り、アジア代表として世界大会に進む権利を得ました。けれども、2020年のコロナ禍により大会は中止に。それでも、この経験は大きな糧になりました。
お客様と生まれる一体感
大会に参加している最中、「Hyatt Regency Kyoto」よりもさらに上のクラスにあたる「Park Hyatt Kyoto」が新しくオープンすることを知りました。世界各国から著名な方が宿泊するラグジュアリーホテルということで興味を持ち、応募したところ無事に合格。大会後に入社しました。
そこでは鉄板フレンチに配属され、これまで裏方で料理を作るだけだった自分が、初めてお客様の前で料理を提供することに。接客をしながら料理を提供するというスタイルに挑戦し、海外からのお客様も多い環境で、カタコトの英語を使いながらなんとか4年半やり抜きました。
お客様と直接接することで、料理を出すタイミングや、料理についてお話しすることの大切さを学びました。そうすることで、料理の価値が一段と高まると感じたんです。
目の前で出来立てを提供することは、料理人にとって最高の喜びだと思います。お客様との一体感が生まれ、レストラン全体が楽しい空間になるのが本当に面白かったですね。
この経験が、今の「UZU K」のスタイルにつながっています。出張シェフやケータリング、皿鉢料理を提供するのも、お客様に直接料理を届けたいから。コミュニケーションを取りながら、料理を楽しんでもらいたいです。
高知でも広げたい
“食のコミュニティ”
「Park Hyatt Kyoto」では、鉄板フレンチのコの字型カウンターが特徴で、最大10名が座れるオープンな空間でした。
国内外から訪れるお客様同士が、自然と「どこから来たの?」「京都のどこを見てきたの?」と会話を楽しみ、知らない人同士でもその場でコミュニティが生まれるのが印象的でした。この瞬間の一体感が本当に素晴らしく感じられました。
料理があるからこそ、人と人とがつながる。この経験を通して、「このつながりの感覚を高知でも広げたい」と思うようになりました。そこから、店舗を持たない出張シェフ、出張型レストランの形で「UZU K」を始めることにしたんです。
これがゴールではなく、私にとっての第一歩です。16年間高知を離れていたからこそ、料理を通して自分の想いを伝えていくことが、今の私にとって一番自然なスタートだと感じています。
料理人として、社会にできること
私は料理を通じて、社会貢献や新しい事業をしていきたいと思っています。生産者の方々が抱える課題に目を向け、それを料理でつなぎ、解決のきっかけを作ることができればと考えています。
それぞれの仕事には悩みがあるものですが、私が間に入って、料理を通してお客様と生産者をつなぐことで、新しいコミュニティが生まれる。そんな場を作りたいんです。
たとえば、生産者の方からは「B級品」とされるもの、虫にかじられた野菜、形が悪い果物、色が悪い食材が大量に廃棄されているという話をよく聞きます。それをそのまま料理で出すのは難しいですが、ひと手間加えることで、捨てるものを価値あるものとして届けることができます。
私の経験を活かし、そんな食材をお客様に楽しんでもらえる料理に変えていきたい。それが社会に貢献する一つの形だと思っています。
食とコミュニティをつなぐ
UZU Kの役割
「UZU K」のコンセプトは”食とコミュニティのつながり”です。私が料理人として果たすべき役割は、生産者とお客様をつなぐこと。料理を通じて、関わる全ての人がつながりを感じられる場を作っていきたい。
もともとは「自分の店舗を持ちたい」という夢がありました。美味しい料理を作り、お店で提供することはもちろんやりがいがありますが、それだけでは何か物足りなさを感じたんです。「店舗の中だけで完結するのではなく、もっと広い形で人とつながりたい」と思うようになりました。
コロナ禍では、レストランにお客様が来られなくなり、私たち料理人は何もできない無力感に襲われました。そこで、「お店を構えるより、自分たちが出向いて料理を届ける方が今の時代に合っているのでは」と考えたんです。お客様の元へ足を運び、料理を通じてメッセージを伝えることが、今の「UZU K」のスタイルです。
私が目指しているのは、生産者と消費者をつなぐ架け橋になること。
高知には素晴らしい食材がたくさんありますが、それが十分に生かされていないと感じる場面もあります。だからこそ、料理を通してその価値を引き出し、伝えていきたい。
生産者とお客様の間に新しいコミュニティが生まれ、共に支え合える関係を築いていくことが私の目標です。
これからも、料理人として、そして高知県民として、自分の想いを伝え続けていきたい。料理を通して、多くの人とつながり、共に成長できる場所を作っていきます。
笑顔を届ける皿鉢料理
UZU Kで皿鉢料理を頼んでくださるお客様は、誰かを喜ばせたい、楽しませたいという気持ちでご依頼いただいていると思います。
だからこそ、料理を通して、みんなが笑顔になれるような説明を心がけています。まるでサンタクロースになったような気分で、私たちはその「橋渡し」をさせてもらっている感覚です。
若い方だけでなく、高知に帰省した息子さんや娘さん、お孫さんを迎えるご年配の方にもご注文いただきたいです。私たちの料理が家族の集まりでみんなを喜ばせることができたら、本当に嬉しいですね。
私は、皿鉢料理は”コミュニティ”を作るものだと考えています。皿鉢には、作り手や生産者との「内側」のつながりが込められ、料理を食べることで生まれる「外側」のつながりがあります。
何人かが集まって料理を囲むことで自然にコミュニティが広がり、その瞬間が特別な思い出になるのが皿鉢料理の魅力です。
UZU Kの皿鉢料理を通じて、“人と人とのつながりを感じられる特別な時間”をお届けできたら嬉しいです。大切な人たちと囲む料理が、皆さんの心に残る素敵な思い出になりますように。
出張シェフ・ケータリング UZU K
出張シェフやケータリング、皿鉢料理のご依頼は、以下の連絡先よりお問い合わせください。
HP uzuk.online / 皿鉢料理・出張シェフ
TEL 080-4649-0020
Instagram @uzu_k_
オンラインショップ uzu-k.shop
編集後記
今回のインタビューを通して印象的だったのは、近藤さんの「自分を常に追い込み、成長し続けたい」という姿勢でした。
25歳の頃に「ある程度こなせるようになった」と感じた瞬間に、そこからさらに自分を追い込んで新しい挑戦を求め続ける姿勢。その背後には、「自分の価値を高めるには挑戦の繰り返しが必要」という信念がありました。
「挫折や壁をどうポジティブに捉えるかが大事」という言葉が象徴するように、彼の目標は単なる料理の提供に留まりません。皿鉢料理を通して「高知の食文化を感化したい」という想いは、ただの夢ではなく、具体的な行動につながっています。
近藤さんの言葉からは、自らが生み出す渦がいずれ高知全体の波となって広がっていくという未来への期待が感じられました。
ぜひ皆さんも、出張レストランや皿鉢料理という新しい形の「UZU K」の食体験を楽しんでみてください。近藤さんの料理が、食卓にどのような笑顔とつながりをもたらすのか、きっと特別な時間になることでしょう。