高知県で100%国産材・自然素材を使い、化学物質を一切使用しない安全な子ども家具を製造する「株式会社なかよしライブラリー」。赤ちゃんが口に入れても安心な家具やおもちゃを手掛ける同社の歩みと代表取締役の濱田創さん自身の物語をご紹介します。
CONTENTS
幼少期とものづくりの原点
僕はめちゃくちゃ山奥で育ったんです。水道も下の川や湧き水を引いてくるような環境で、学校まで歩いて1時間かかりました。周りには何もなくてスーパーも遠い。でも、そういう環境だからこそ、父親が“ないなら自分で作りなさい”という考えで育ててくれたんです。
枝を組んでテントを作ったり、竹で弓矢を作ったり、道なき道を進んで山登りをしたり。この”なければ作る”という考え方は、ものづくりにも、会社経営にも今も活きています。
父は、当時高知で2番目の男性保育士で、工作が得意な人でした。南国市の障がい児施設で働いていたとき、海外製のおもちゃの角が鋭利で、よく子どもが投げたり口に入れて怪我をすることがあったそうです。それならと、自分で木のおもちゃを作り始めたのが「なかよしライブラリー」が生まれるきっかけになりました。
保護者の方から「これいいね」「うちでも欲しい」と言われるようになり、父は36歳で独立を決意。父が祖母の家のガレージの一角で起業。それが「なかよしライブラリー」の始まりです。
“なかよしライブラリー”の由来は、図書館から来ています。図書館には、滅多に借りられることのない本が置いてあることがありますよね。それって、ある人には一生必要ない本かもしれないけど、別の誰かにはすごく大切な本なんです。
木のおもちゃや家具も同じで、たった一人の子どもや赤ちゃんを笑顔にできるなら、そのおもちゃには意味がある。そういう思いで父は名付けたそうです。
社会人としての第一歩と、挫折
僕が大学4年のとき、石田ゆうすけさんの著書「行かずに死ねるか! 世界9万5000km自転車ひとり旅」を読み、その冒険心に強く惹かれました。初めての海外体験として、卒業研究でネパールを訪れることを選びました。
現地で1か月滞在し、什器をスケッチするのが研究内容です。水が飲めなかったり、反政府派の衝突でバス停が爆破されるような混乱の中でも、自然豊かな環境に懐かしさや心地よさを感じました。
卒業後は「社会人になったら世界を旅しよう」と決意し、家具づくりに携わるため大阪の住宅メーカーに営業職として就職。仕事でお金を貯めては格安航空券で海外を巡る生活をしていました。
しかし、仕事では全く成果が出ず、フランチャイズチェーンで約40店舗ある中、営業成績が最下位。先輩からは「採用したの間違いやった」と言われ、自信を失いました。
ストレスで胃液が逆流し、眠れない日々が続き、配達部署へ異動後も“何か自分にできることはないか”と探し続けました。
逆境の中で生まれた転機
コツコツするのは好きだったので、会社から支給されたPCでブログを365日、毎日更新するようにしました。お店のショールームに来てもらうための情報を発信していると、ある日「はまちゃんいますか?」と指名で来店されるお客様が現れたんです。「いつもブログ見てますよ。家具を提案してほしい」と言われて、本当に驚きました(笑)
そのブログは徐々に営業ツールとして機能し始めました。日常のありきたりな情報を発信する中で、僕の人となりを知ってくれて信頼してくれる方が増え、それが営業成績にも繋がったんです。
3年目には店長に昇進し、部下5人を抱えるチームのリーダーに。リーダーとしても紆余曲折ありましたが、部下それぞれの強みを活かす環境を作ることを大切にしました。徐々にチームで成果を出せるようになって、お店全体が良くなっていきました。
独自にマルシェやイベントを企画して店舗の知名度を上げる努力も行い、6年目には全国で営業成績1位を達成。最初は全然できなかった営業職ですが、コツコツ努力する中で自分にできることを見つけられました。
実家に帰り、事業承継を決意
サラリーマン生活も充実していましたが、ある日、なかよしライブラリーの従業員さんから1本の連絡が入りました。「こっちには帰ってこんの?」という言葉がきっかけで、実家へ戻る決意をしました。
実家の近くには産廃施設ができており、その影響で家族や従業員に化学物質過敏症の症状が出るようになっていました。父は産廃施設の運営企業と委託元の南国市を相手取り訴訟を起こしていましたが、裁判は敗訴。さらに、労働裁判や経営の疲弊も重なり、会社の規模は最盛期の従業員15人から4人にまで縮小していました。
「好きで始めた会社だけど、純粋にものづくりをしたいという思いがあったのではないか」と父の心情を感じながら、僕は会社を引き継ぐことを決意。帰郷して2ヶ月で事業承継を進めました。
父は会社に残るのかと思いきや、「もう一度会社を立ち上げる」と県外へ旅立っていきました(笑)
借金3500万円からの挑戦
産廃施設からの汚染された空気が工場まで届き続ける中、移転を考え始めたのは29歳の頃でした。当時、ネットショップは開設していたものの、注文はゼロが続き、会社には3500万円の借金がありました。
そんな中、今の香美市の工場が競売に出されていることを知り、入札へ。しかし、銀行口座にあった金額では競り合えず、不動産業者に買われてしまいました。その後、その業者から賃貸で工場を借りる形で再スタートを切ることに。
父は「やりたいことがあるなら借りてでも先に進むべき」という考え方の人だったので、僕も借金に対する抵抗感はあまりありませんでした。むしろ、商品もあり、ネットショップの顧客リストもあったので、「やりようによってはまだまだやれる」という気持ちで進みました。
借金を抱えた中での希望の光
しかし、現実は厳しく、毎月80万円の返済があり、僕自身の給与は1年間ゼロ。銀行融資を頼もうにも、決算書は大赤字、さらに父が使途不明金として個人口座に流した3000万円の履歴がありました。このお金の行き先を調べると、僕たち兄弟の教育費に充てられていたというオチでした(笑) 当然ながら、追加融資の話はどこからも通らず、資金調達の道は絶たれていました。
そこで最後の手段として、「私募債」を発行することに。これまで購入してくださったお客様にメールで事情を説明し、「100万円を年利3%で6年後に返済します。応援していただけないでしょうか」とお願いしました。その結果、なんと一晩で600万円もの資金が集まりました。
これは、父が作り上げた「なかよしライブラリー」の商品や理念を信じてくれる素晴らしいお客様が多くいたおかげだと思います。この資金で製品開発を進めると同時に、ホームページを全面リニューアル。それまで父が手作りしていたサイトをプロに依頼し、より使いやすく、購入しやすい形に整えました。
資金の調達とホームページの改良で、ようやく「打って出る」準備が整い、会社の再建が大きく動き始めました。
売上は増えても疲弊するワケ
ホームページでの販売に加えて、週末には日曜市などの青空市に出店し、商品を販売していました。そんなある日、観光客から「副業でやってるんですか?」と声をかけられました。その一言で気づいたんです。自分では会社経営をしているつもりでも、外から見ると「個人で趣味で作っている人」にしか見えていなかったんです。
これをきっかけに、戦略的に会社を運営していく必要があると痛感しました。そのタイミングで声をかけてくれたのが、全国の百貨店を仲介する業者さん。「物はいいんだから、大阪や東京の大丸や東急で売ればいい」と提案され、口車に乗る形で、西日本一の売上を誇る梅田の大丸に出店することに。
出店初日、1日に300万円売れるという大成功を収めました。ただ、その裏では大きな問題も見えてきたんです。百貨店への売上の3割、仲介業者への1割、合計4割が手数料として引かれる上に、商品自体の原価率が6割。その結果、売上は上がるのに利益はゼロ。さらに体力的にも負担が大きく、疲弊するばかりでした。それでも「これが正しいんだ」と信じて、約5年間続けていました。
しかし、もう一つの課題も明確でした。大丸のお客様はその場限りの”一見さん”ばかり。リピート購入につながるお客様がほとんどいなかったんです。なかよしライブラリーの商品は、子どもの成長に合わせて何度も購入していただくことが理想です。それが叶わない状況では、いくら売上が上がっても持続可能な成長にはつながりませんでした。
製造を仕組み化し、販売戦略を一新
土日の催事出店を辞め、土日休みでも売上を立てる仕組みを模索。楽天やYahoo!、アマゾンなどのモール出店をやめ、自社ホームページに特化した販売戦略へ切り替え、ブログやコンテンツ作りを積み重ね、2020年のコロナ禍をきっかけに売上が急成長しました。
保育園向けの製品づくりと営業も始めましたが、無理な営業はせず、連絡をくださった方に丁寧に対応するスタイルを心がけました。この姿勢が前職での経験から活きています。
製造面では、従来の手作りで2ヶ月かかっていた納期を2週間に短縮するため、工程を細分化し、担当者を設けてオートメーション化。ルールを整備し、効率的な製造体制に変革しました。
おもちゃ製造の新たな拠点を探していたところ、香川県三豊市の廃校活用プロジェクトに参加することに。2017年に廃校となった小学校を利用しておもちゃ工場を移転し、製造体制を拡充しました。現在は、家具工場とおもちゃ工場の2拠点体制で運営しています。
“いいものを長く使う”心を育む体験
香川県三豊市の廃校を活用した工場では、自然豊かな環境を活かし「体験の場づくり」を計画中です。グラウンドや中庭を使い、ボルダリングやキャンプ、火おこし体験、木育など、自然と触れ合うアクティビティを1日を通して楽しめるイベントを準備しています。
さらに、渓流釣りやラフティング、地元の木工職人によるワークショップも予定しています。都会から訪れる方には1泊2日の体験型プログラムを通して、木や自然に囲まれた暮らしの魅力を伝えていきたいと思っています。僕自身、子どもの頃に自然の中で遊んだ経験が心に深く残っているので、そんな記憶をたくさんの人に届けたいんです。
良いものを長く使い、愛着を持って大切にする文化を広げたい。その想いを、木製品や家具を通じて形にしています。世代を超えて愛されるものづくりを目指し、ものを大切にする心を育む取り組みを進めていきます。
高知から世界へ広がる挑戦
なかよしライブラリーのこれまでの顧客データを分析していると、関東エリア、特に渋谷から吉祥寺周辺で注文が多いことに気づきました。「ここでお店を出したら喜んでもらえるはず」と、まずは東京・立川市でポップアップショップを開催しました。
広々としたスペースに全商品を展示し、多くのお客様に直接触れていただける場を作りました。初日から大盛況で、実店舗の必要性を実感し、その足で吉祥寺に初の直営店をオープンしました。
現在は福岡や千葉、神奈川など、全国への出店も計画中です。保育園や幼稚園向けの商品開発や、自治体と連携した「県産木のおもちゃ」事業も成長しています。香美市や梼原町では、出産祝いとして木のおもちゃを贈る取り組みが進んでいます。
さらに、海外展開にも力を注ぎ、英語圏を中心とした越境ECサイトやアメリカ・ドイツへの卸売もスタートする予定です。吉祥寺店には海外のお客様も多く訪れ、素朴な木の風合いが高く評価されています。ポップアップイベントやSNSで少しずつ販路を広げ、次なる目標に向けて動き出しています。
商社経由ではなく、自社でお客様との関係を築きながら、作る力・売る力・デザイン力を活かす。時間をかけても、100年続く会社を目指し、一歩ずつ地道に進んでいきます。
次世代へつなぐ木工業の未来図
木工業界では、2代目や3代目が継承するケースが少なく、事業承継が進まずに廃業してしまう製材所が増えています。中には、しっかり引き継ぎができれば大きく発展できる可能性を秘めた会社もあります。そういった事業を若い世代と一緒に引き継ぎ、盛り上げていける仕組みを作りたいと思っています。
実際に、香美市ではいくつかの製材所が廃業してしまいました。利益は出ているのに、承継者がいないために閉業してしまうのはとても残念なことです。この問題に、なかよしライブラリーとしても取り組み、製材所から製造、販売までを一貫して行える仕組みづくりを目指していきます。
製材所や木工業が一体となって情報を共有し、製品開発や経営ノウハウを活かしながら新しい価値を生み出していくことが重要です。その結果、業界全体が盛り上がり、未来への可能性が広がると信じています。
高知には素晴らしい木材資源があります。その潜在的な魅力を最大限活用し、100年続く企業を作ることを目指して、高知の製材業や木工業の発展に寄与していきたいです。
編集後記
なかよしライブラリーの製品には、世代を超えて愛される「ものづくりの哲学」が詰まっています。家具やおもちゃは、一度使われて終わりではありません。次の世代へ、あるいは新しい形で生まれ変わりながら、家族の記憶とともに大切にされていく。そんな「なかよしライブラリー」の取り組みは、物を大切にする日本の精神そのものを体現しているように思います。
さらに、シンプルかつ万能なデザイン、そして20種類以上の材種を使い分ける独自のものづくりへのこだわり。そのどれもが、日々の暮らしを豊かにするだけでなく、使う人の生活に寄り添い続ける温かみを感じさせます。
「木はただの素材ではなく、家族の歴史や思い出をつなぐ存在」と濱田さんは語ります。自然を大切にし、良いものを長く使う価値観を共有できる未来を目指している、そんななかよしライブラリーの活動に深く共感しました。
私たちが選ぶ一つ一つの「もの」が、未来の子どもたちの暮らしを豊かにするきっかけになるかもしれません。あなたの家庭にも、一つだけ特別な木のおもちゃや家具を迎えてみませんか?
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