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【シンガーソングライター / もっくん】「痛み」を活かした応援ソングが生まれたワケ

【ミュージシャン・歌手】基史 大井

「痛み」を活かした応援ソングを歌うシンガーソングライターもっくん。7年間、学校に通えなかった。親しい先輩の死。失恋。過去の辛い体験を曲に込め、ピアノに乗せて歌っています。
もっくん(基史 大井)の今の活動に至るまでの経緯について伺いました。
 
 【ミュージシャン・歌手】基史 大井

母の勧めで5歳からピアノレッスン。

吾川郡いの町の出身。5歳のときに母の勧めで近所のピアノ教室に通うことになりました。
 
基本通りバイエルという教本から始めたのですが、少し実践した後に先生が「したい曲がない?」と聞いてくださって、アニメのオリジナルだったり興味のある曲を弾き始めましたね。
母の希望もあったのでしょうが、物心がつく前から、いろいろなジャンルの音楽を聴いて育ちました。
 
 
 

人間関係の悩みからピアノを離れる。

けれども、小学校入って9歳で習うのを止めて、小学校6年くらいまでピアノには全く触れない生活をしていました。
 
離れていたのは、ピアノが嫌になったとかそういうことよりは、自分のことに集中したくて。人間関係に悩んでいた時期で、学校にも行けていませんでした。とてもピアノには専念できなかったし、ショックで手につかなかったというのが一番大きいです。
 
今では学校に行っていなかったことは、自分の中では自慢(貴重な)の経験です。なかなか周りでもそんな経験をした方はいないんですね。
学校に行けないという経験。その経験をしたからこそ分かる部分もあって、今の自分がある。
 
いじめられた側の気持ちもわかるし、いじめた側の気持ちも十分考えたなと。「相手の気持ちになって考えたい」という気持ちになりますね。「なんでこうするのか?」相手に歩み寄ったりする考え方ができるようになったのかなと思います。
 
小学校の6年生の担任の先生がピアノをやっていたことを知っていて、「一緒にやらないか」というお誘いがありました。
それがきっかけで、放課後に残ってピアノを再開。
 
 
 【ミュージシャン・歌手】基史 大井

歌う喜びを実感。

先生とマンツーマンでレッスン。改めて楽しいと感じました。
触れてみて、「やっぱり好きなんだな」という実感が湧いてきて。何にも自信が持てていませんでしたが、唯一好きで残っていたのが音楽でした。中学校に入ってからは、支援センターにあった先生の私物のコード本で、独学で学びながら弾き語りを始めました。
 
ピアノはもちろん歌うのも好きで、ピアノのコードを弾いて自分が好きな曲を家や学校で歌ったり。
人に聞かせることは当時なかったので、誰も聞いていない中で自分だけ満足するというようなスタンスでした。
 
当時、支援センターにいたんですけれど、そこで歌ったり、弾いたりしていて。
それを見ていた先生方が「支援センターで開催される音楽祭でやってみようよ」と念をおされて。
 
「人前で何かをやる、弾き語りをして歌を聴いてもらう」というようなすっごく苦手だったんです。
抵抗したんですけれど、結局やることになりまして。
 
結果、それが心地よかったんだと思います。
人前で歌って、自分が変われた実感があったんです。
 
 
 
 【ミュージシャン・歌手】基史 大井

自分の居場所ができた。

高校にも入って、軽音楽部に入って、人前で演奏する機会がどんどん増えていって。「これでいいんだ。このまま音楽をしていて。過去に色々あったけど、こんな自分でも受け入れてくれる人がいるなら、このままでもいいのかな。」という感覚がありました。
 
ライブで本格的に活動し始めたのは、高校に入学してから。
回数を重ねていくうちに、「よかったよ!」とか周りの声が聞こえてくるんです。本当にそれが純粋に嬉しかったんですね。
自分では「下手だな〜」と思うこともあったのですが、周りの声も聞いて「あ、イイんだ!」「喜んでもらえたんだ!」って。
 
これからも頑張っていこうという気持ちになりました。
良いライブになるよう、いろんなライブを見て、人の喋り方を研究したりして、「どういう話し方をすると好意を持ってくれるのかな」としばらく考えましたね。
 
人前で歌うことで、人と話すこともすごく好きになりました。
 
 
 【ミュージシャン・歌手】基史 大井

先輩の死をきっかけに前向きに。

高校2年の夏、軽音楽部のバンドを組んでいた1つ上の先輩が交通事故で亡くなったんです。練習をしていて次の日に、急に事故で亡くなって。
「自分はどうしたいんだろう?どうすべきなんだろう?」ということを考えさせられる機会をもらったような気がしました。そこから「誰かのために何かをしてあげたい」という気持ちがどんどん強くなってきたんです。
 
元々、後ろ向きで消極的なタイプだったけど「前向きに積極的に生きていきたい、先輩の分も楽しんで生きよう!」と思うようになりました。前向きで親しみやすい先輩。人として尊敬していて、見習いたいなと思う部分がたくさんありました。代わりにはならないですけれど、その分私が頑張ろうと。
 
人の痛みがわかる人になりたいですね。苦しい時に寄り添ってあげたいです。「辛いことがあったら頼りたい」そう思ってもらえるような人。そういう「無邪気で素直な人」になりたいですね。
 
 
 
 

成長することが楽しい。

昔の自分の歌声を聞くと、1年単位でどんどん変わっていて、「私は何を気をつけていたんだろう?」と考えた時に、呼吸法はもちろんですが「何を伝えたいのか」が第一にあって。それを考えることによって、出したい音がその年々で変わっていっていて。喉が声の出し方に慣れてきたというか。
私は伝えたいことを伝えているだけで、体がそれについてきてくれているという感覚です。
 
出会いが私を変えてくれました。音楽をやっている前と比べて、人とつながることが増えました。
友人が増えたり、ミュージシャン仲間が増えてきたのはすごく嬉しいです。自分の音楽性もわかってくれて、いろんな考え方を教えてくれたりするので、それが人生のプラスポイントだなと思いますね。
 
「自分が変わりたいと思ったら、新しい誰かと出会うこと。出会いが人を変えていく。」という言葉が好きです。
自分がどんなに努力しても変わらない部分があると思います。でも出会っていろんな考え方を聞いて、この人のために何かしたいと思ったら、やることなすこと全てガラッと変わったり。
それは出会いだなと心から思いますね。
 
 
 
 

今後は、舞台芸術の世界へ。

演劇に興味が向いたのは中学校に入学してから。大好きな海外ドラマを母と一緒に見ていて、その中ですごく素敵な声の方がいて、耳について調べたのがきっかけです。
 
将来は、声優業や自分の声を使ったお仕事をしたいなというのがありました。
それから演劇にどっぷりハマってしまって。舞台を見に行ったり、裏の仕事を手伝ったりということもしていました。
 
大学も東京の演劇の学校に進学することになりました。舞台芸術を学ぶ中で、どうしていきたいかを決めていきたいと考えています。
これからは、歌い手としてライブ活動もしながら、生きていけたらと考えています。
 
 

インタビュー後記

大井さんとは、ライブを主催されている方のご紹介で参加させてもらったライブで初めてお会いしました。
初めてライブを聴いたとき、その歌声と声量はもちろん、18歳にして場の空気を掴むトーク力にも感嘆しました。
 
今は大学で舞台芸術の世界で、新たなスキルを習得中。
今後の活躍が楽しみです!
 
 

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