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「高橋ヴァイオリン工房 / 高橋 尚也」四万十町から世界最高峰のヴァイオリン作りを

【高橋バオイオリン工房】作業風景

生まれ故郷である窪川でヴァイオリン製作を手がける「高橋バイオリン工房」の高橋さん。ヴァイオリン製作の聖地イタリアは「クレモア」で単身修行。世界的に有名な巨匠 ジオ・バッタ・モラッシー氏とその息子シメオネ氏に師事。イタリアで数年間に渡り製作に打ち込んできました。ヴァイオリン製作にかける想いや背景について伺いました。
 
 
【高橋バオイオリン工房】作業風景

ヴァイオリン製作に目が向いたワケ

元々、窪川出身で学生の頃からバンドを組んでギターを弾いていました。兄貴がギター製作の専門学校に行っていたので、同じ東京にあるESP MUSICAL ACADEMYのヴァイオリン(バイオリン)製作科に入学したことがきっかけです。
最初はエレキギター製作をやりたかったのですが、電気関係の知識が難しく分からなかったということもあり、木だけの方が向いていると思い、ヴァイオリン製作に。最初は適当な理由でした。
 
中学校の頃には、頭が悪いし「普通の会社勤めの仕事はできんやろう」と親が先生から言われていたらしいです。自分自身も自覚していましたが、何か手に職をつけたいと考えていました。
 
高校入学後に兄貴がESPのパンフレットを持っていたので、「よし、コレや!」と。それまでヴァイオリンを見たこともありませんでしたが、すぐに決断しました。
 
 
 
【高橋バオイオリン工房】高橋 尚也

単身でイタリア修行へ

1年で1本ヴァイオリンを作ったのですが、技術面で「コレじゃいかん!」というとこで一念発起。ESPの先生や先輩もイタリアへ行っていたこともあり、卒業後イタリアへ修行に行くことに決めました。
 
東京で半年程、イタリア語学学校へ通いました。その学校がミラノの学校と提携していることもあり、イタリアでは最初にミラノへ。日本人も比較的多かったです。
 
ミラノは公立のヴァイオリン製作学校に入学。学校では授業が終わると、外に工房があるので製作に打ち込んだり、出来上がったヴァイオリンを気に入った先生のところへ見せに行っていました。そこで2年間程ヴァイオリン製作技術を学びました。
 
 
 
【高橋バオイオリン工房】ヴァイオリン

人生の転機となった先輩との出逢い

イタリア1年目、イタリア修行で人生を変える先輩、天野さんとの出逢いがありました。天野さんにはイタリアに行ったときが一緒で、家もアテがなかったのですが面倒も見ていただき、今に至るまでお世話になっています。
 
学校の通っていた頃、習っていた先生のツテで「シチリアで修理のアシスタントを探しているから行ってみないか?」というお誘いをいただきました。
イタリア移住当初は、収入がなく親からの仕送り。それも嫌だったし、給料もいただける。ちょうど良い!ということで修理アシスタントを引き受けることにしました。学校を辞めて、シチリアで1年過ごしました。アパートでシチリアの大学生と7人暮らし。キッチンは共同で、個室は設けられていました。
 
2004年には、マエストロ ジオ・バッタ・モラッシー氏の工房で働くことに。
「日本人で良い人がいないか?」と探されていたようで、先輩から紹介していただきました。
 
※天野 年員(あまの としかず):製作・修理の両面において突出した能力を持つ製作家。 クレモナの巨匠ジオ・バッタ・モラッシー氏に師事。また、世界的鑑定家エリック・ブロット氏の工房で、長年修復に携わる。強豪がひしめくコンクール、2007年 VIOLINO ARVENZISでも高く評価され、総合1位を受賞。日本人3大製作家の1人。
 

 

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世界的に名高いモラッシーに師事

モラッシーは、ヴァイオリン製作で世界的に有名な巨匠。おやっさん(師匠)が初代創業者です。クレモナと言う町にはヴァイオリンの製作者が数多くいるのですが、モラッシー派とビゾロッティ派のヴァイオリン製作の二大流派の一つです。巨匠 ジオ・バッタ・モラッシー氏とその息子シメオネ氏に師事しました。
 
モラッシーでは1日中休みなく、ひたすら閉じこもってヴァイオリン製作でした。日中は製作の補助、仕事が終わると自身の創作活動に打ち込んでいました。アパートも製作家ばかりだったので隣を気にせず、少々夜まで製作できる良い環境でした。6年程働かせもらいました。
  
※Gio Batta Morassi ( ジオ・バッタ・モラッシー ) 1934年、ウーディネ出身。ヴァイオリンの街、クレモナの名を現代に蘇らせた立役者とも言える人物で、世界中で最も重要な製作家の一人。近年ではヴィエニアフスキーコンクールやチャイコフスキーコンクールなど、世界最高峰のコンクールの審査員を務める。
 
※Simeone Morassi(シメオネ・モラッシー)現代におけるヴァイオリン製作家の中でも、ひときわ人気の高い名人。父のGio Batta Morassiの持つ精巧かつ芸術的な作風を受け継ぎつつ、オリジナリティを随所に感じさせる楽器作りを行う。 明るく、透明感がある音色と、量感のあるパワフルなサウンドが特徴。
 
 
 
 
【高橋バオイオリン工房】ヴァイオリン

落ち着いた環境で製作に打ち込みたい

イタリアで修行すること10年。元々30代で帰ってきて、自分の店を開けたいと思っていました。
当時30歳でしたし師匠のアシスタントとして、技術も身についてきていました。
 
東京で起業することは全く考えていませんでした。「製作する場所は、静かで落ち着いた地元の窪川でやる」と前々から決めていました。「地方の窪川でヴァイオリンを弾く人いるの?」「そんなところでやっていけるの?」とよく言われましたが、「今はどこにいても発送できるので、どこにいても一緒だ」と。
 
東京で起業される方も都会の喧騒に疲れ、結局は山奥に行きます。今では窪川へ高知市内からはもちろん、四国圏内からも来店者してくださる方もいます。
 
 
 
 
【高橋バオイオリン工房】ヴァイオリン

基本を忠実に表現する

現在は、技術面で腕を上げるために数をこなしながら経験値を積んでいます。目指すは師匠の楽器。まずは見た目、音は自分が作っていかなければならないので、試行錯誤しながらいい音を出せるヴァイオリンを作り出していきたいです。
 
作る上で大切にしていることは「守・破・離」です。少しでもモラッシーのスタイルを変えないように、個性をなくすようにしてきました。「破」に行くには「守」ができてから。自分の中では、まだ次の段階に行くレベルではないと思っています。まずはしっかり地固めしていきたいです。
  
 
今後はコンクールにも挑戦していきたいです。販売店の方には「コンスタントに売れていくのは実績だ」と言ってくださるのですが、自分の実績として見せられるものを獲得していきたいです。
 
 
 
 
【高橋バオイオリン工房】高橋尚也

インタビュー後記

寡黙な印象の高橋さん。「真面目」「実直」という言葉がよく似合います。ブレず、真っ直ぐにヴァイオリン製作に向き合う姿に感銘を受けました。
 
世界中から様々な人種の方々が集うクレモアの地で、苦労されたことも多々あったかと思います。そんな中「自分にはコレしかない」と。ひた製作に打ち込んできました。高橋さんは「作品に個性がない」とご自身ではおっしゃいますが、お話を聞く中で高橋さんの精神、個性が作品によく投影されているのではないかと感じました。
 
学校の成績は何であれ、語学を身につけ、イタリアで技術を身につけた行動力とヴァイオリン製作に対する熱意。素晴らしいです。
 
 

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