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絵本作家 永井みさえ|愛と平和を伝えられる絵本づくりを。

絵本作家 永井みさえ

神奈川県 藤沢市出身の「絵本作家」永井みさえさん。現在は高知県の大月町を拠点に絵本を基盤とした作品づくりで精力的に活動されています。
高知市内から片道3時間もかかる大月町に、なぜ移住されたのか。これまでの経緯や展望についても伺いました。

15歳下の妹が
きっかけで絵本作家へ

絵本作家 永井みさえ

もともと漫画が好きな家族で、絵を真似して描いていると、両親から「みーちゃん、宮崎駿みたいになりなよ」とか洗脳されてて(笑)
絵本も買ってもらったり、絵を褒められていたこともあって描くことが好きでした。
今は人と話すことが好きなんですけど、小学校の時とかは、あんまり本音が言えない子だったんです。
ストレス解消で、自分の嫌な部分を、感情を投げつけるような感じで絵を描いていました。家族は心配してましたけどね(笑)

さらに15歳下の妹が生まれたことで、絵本の読み聞かせをするようになりました。

読み聞かせていたら、「あっこれ自分でも絵本作れるんじゃないかな」って勘違いしちゃって。
高校一年生のときに「これしかない!」と描き始めました。

映画祭での作品をきっかけに独立

永井みさえ|にんにく姫

高校からずっと絵を描いてましたが、売り込みはしていませんでした。
卒業後の進路を決める時期に、そのとき妹も3歳くらいだったので「いろいろと大変だから大学に行かないでほしい」と言われて。
実家が自営業なので、手伝いとアルバイトをしながら絵を描いていました。
とにかく絵を描く時間が欲しいから、「これは一人暮らしをしなきゃダメだ!」と思って。
19歳くらいのときに実家を出て、指圧マッサージの仕事をしながら絵を描いていて。お金も貯めていました。
2014年の香川さぬき映画祭で「映画で使う絵本を描いてください」と依頼されて、「にんにく姫」という本を作りました。最初の転機になった作品です。
facebookつながりで仲良くなった人が、映画「アヒージョ!」のプロデューサー(成合一康さん)を紹介してくださったことがキッカケです。
最初は何を言っているか分からない変なおじちゃんだったんです(笑)
よくよく聞いてみると「絵本を作りたい」という話で、そこから神奈川と香川を行き来するようになりました。
「にんにく姫」を機に、一気に絵本の方にシフトしました。
やっぱり一作品できたことで、いろんな人からもドンドン仕事の依頼が来るようになりました。

プロデューサーとの出会い

絵本作家 永井みさえ

映画祭の上映が終わって、そのときにプロデューサーさんと一緒に営業回りに行ったんです。
「香川県で何か仕事をくれないか」と。本当に良いおじちゃんで、家族みたいになっちゃって(笑)
その中でN(匿名)さんという方と出会って、Nさんに「にんにく姫」を見せたんです。
そしたら「俺、絵本描きたかったんだよね」って(笑)
最初「ウソだ!絶対ノリと勢いで言ってる!」と思ったんですけど、詳しく話を聞いてみると絵本が本当に好きで、絵本もたくさん持ってたらしいんです。
「じゃあ一緒に絵本を作ろうか」という話になりました。
今は、Nさんと一緒に活動しています。

大月町へ移住することに

絵本作家 永井みさえ

そんなNさんが高知県の大月町に来る機会がありました。
香川県にある太陽光パネルの会社が「大月町の学校の上に太陽光パネルを付ける」というので一緒に来たらしいんです。
そのとき私は、東京の下北沢で一人暮らしをしていました。画材がドンドン増えちゃって、「広い家じゃないといけない、どうしよう?」と悩んでいて。
「思いっきり田舎に行ければ良いな、どこかいい場所ないかな?」と探していた時期でした。
そのタイミングで野村さんが大月町に行って気に入ったらしく、一緒に遊びに行きました。
大月町へ行ってみたら、海もすごくキレイで、地元の方々の人柄もとても良かったんです。
大月町役場の方ともお会いすると「地域起こし協力隊での枠がある」という話をいただいて、今は「大月町地域おこし協力隊」として絵本を使った地域活動をしながら、毎月東京と大月町を行き来しています。

大月町の人々に惹かれて

絵本作家 永井みさえ

「大月町のどこに惹かれたか?」と聞かれれば、「一番は、人に惹かれた」と応えます。
私の実家は神奈川の藤沢で、実家兼店舗の飲食店をしています。
お店に来る人の人柄が、高知の人柄と似てたのかな?土佐の「おきゃく」のような感じです。
あとノリが良い意味で軽い。偉い人とか、年下年上関係なく、みんな友達感覚(笑)
そういうのが似てて、「ここだったら良いな」と感じました。
でも周りには、スゴくびっくりされましたね。「え!?遠いね!」って。
場所は大月町じゃなくても良かったのかもしれないですけど、大月町の一番最初の歓迎とか、ハートの良さを感じて。
表裏がない。良い意味でばれちゃう。「本音を隠せない人柄が良いな」と思いました(笑)

仕事があることのありがたさ

絵本作家 永井みさえ

22、23歳頃は、自分の価値を分かっていませんでした。子供だったんですね。
自動車メーカーの「レクサス」さんの店舗で展示会をさせてもらったこともあるのですが、自分に実力がなかったためにチャンスを逃したこともあります。
今では一期一会を大切にし、名刺交換後のアフターケア、仕事につながる可能性のある人に会えば、チャンスを落とさないようにしています。
今お仕事をいただけていることは、とてもありがたいですね。
以前に、着物の会社さんから「絵本を作りたい」というお話を受けたんです。出版されないかもしれませんが、冊子やハードカバー用で「お得意様へのプレゼント」としての活用提案もしています。
また臨床心理士、キャリアコンサルタントさんが「活字だと子供たちに自分たちの想いが伝わらないから、絵本を作ってくれない?」というお話をいただいたり。
あとは「絵本を出版流通させたというキャリアがほしい」というクライアントさんには、要望に合った提案をさせてもらっています。
なので、スポンサーありきの仕事やそうでないものもあります。

絵本を基盤に
枝葉を広げていきたい

絵本作家 永井みさえ

今後は、やっぱり高知の方から絵本の依頼がほしい。土佐弁の絵本とかやりたいですね。

拠点が高知になってから、東京で営業をすると仕事がすごく増えたんです。
東京には絵本作家やアーティスト、デザイナーも沢山いるけど、「高知を拠点に活動している」と言うだけで不思議がられるんです。
「大月町地域おこし協力隊」の役場の名刺を見せると、信頼が得られている感覚もあります。
今は「大月町をどう盛り上げていくか?」を考えて、実践しているところです。
結構転々とするタイプなので、ずっと大月町にいることは難しい。家族大好きだから実家に帰りたいし、海外にも行きたい(笑)
けど、絵本づくりはどこでもできる。英語を勉強さえすれば海外のお客さんも取れる可能性もある。
拠点(アトリエ)の住所はずっと大月町で置いていようと考えています。
私は「絵」しか描けないんですけど、最終的には他のクリエイターさんと一緒に、絵本を基盤に枝葉を広げて行きたい。
絵本を作らせてもらったお客さんから「PR用にアニメーションを作りたい」という要望があれば、対応できるようなミニスタジオを作っていきたいです。
他のクリエイターも大月町に移住してほしいけれど、いきなり大月町は難しい。
まずは、遊びに来てもらえるキッカケづくりをしていきたいですね。

編集後記

絵本作家 永井みさえ

 やわらかい物腰と、可愛い笑顔が印象的なみさえさん。お話を伺う中で、芯の強さもある方だなと感じました。
同じ世代で立場も似ていることもあって、すっかり意気投合してしまいました。
みさえさん個人として、育てている絵があります。
「愛と平和」をテーマに描いている「ちゅ~ちゅ~まん」です。
「ちゅ~ちゅ~まん」は、15歳下の妹がきっかけで生まれました。小さい頃って、「ちゅ~」っていう単語、キス、よく「ちゅ~」する家で4姉妹なんです。
その一番下の子が産まれちゃったので、すごい可愛がっていました。
「ちゅ~ちゅ~」って言いながら絵を書いているときに、「ちゅ~ちゅ~書いてよ!」って言われて。唇と体を書いたら、「ちゅ~ちゅ~まん!」って妹が名付けました。
「〇〇マン!」みたいな感覚で生まれました。
 絵本作家になるきっかけでもある「ちゅ~ちゅ~まん」を育てていくための活動にも精力的に取り組まれています。
これからも高知を拠点に世界へ、広げてもらいたいですね。

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