デザイン業界からガラス製作の道へ転身し、日本中を転々としながら様々なガラス製作の技法を学ばれた植木さん。吹きガラスは一瞬の迷いが作品の仕上がりに影響し、その一瞬に職人としての技術が集約されます。
長年積み重ねてきた経験を通して、他にはない作品を作り出しています。ガラス製作を始めるのが遅かった分、製作に貪欲に向き合ってきた植木さん。これまで歩んできた道について伺いました。
身近にあった石ガラスに惹かれた
高知の土佐清水市の生まれです。学校卒業後は東京のデザイン事務所で働いていました。当時ちょうどMacに切り替わり始めた頃。それまでのデザイン業務は、定規とカッターを持って、書き込むのが主流でした。
結局は手を動かして工作じゃないですけど、そうやってやっていたやり方が好きで入ったデザイン界だったので、それはちょっと俺の中では違うなというのがあって退職。25歳くらいになっていました。
手を動かしてものを作れたら正直、素材は何でもよかったんですね。あとは消去法でいろんなことを考えて。自分が将来高知へ帰ってきて、一人でやっていけることは何かを考えていました。ずっと東京にいたのですが、このまま関東で歳をとりなくないなと思っていたんです。
小さいときに地元の浜で遊んでいたんですよね。シーグラスと呼ばれるガラスの欠片がよく海に打ち上げられていたでしょ。ああいうの見て育っていた部分もあって「綺麗だね」と思っていた記憶が蘇ってきた。「ガラス好きだな」「じゃあガラスやろう」って。それでガラス屋をやることに決めました。
様々な技法の違うガラスに魅せられる
ガラスを学び始めたのは、北海道の札幌からです。なぜ札幌? というと北海道に住んでみたかったからなんです。各地に有名なガラス工房があるのですが、当時北海道の小樽が有名でもあり、南国高知の生まれなので、雪のあるところで暮らしてみたいということで北海道に行ってガラス屋を探しました。
ガラスを始めるのが遅かったので、今更お金出して学校に通って行く気はなかったんです。だったら給料もまともにもらえなくても、誰かできる人のところにくっついて覚えたほうがいいなと。いわゆる職人スタイルがいいなと思って。今の自分みたいな人にたまたま「いいよ」って言ってくれる人がいて。その人のところに転がり込みました。
その方は吹きガラス屋だったんです。一般の方が目にしやすいのが棒の先にあるガラスを回して作るというイメージだと思いますが、同じ吹きガラスの分野でも場所によって技法が違うんですよ。
7年ぐらい学んだあと「他にも技法が沢山あるから、行ってこい」と先生に言われ追い出され(笑)
次に探したのが九州の福岡県。福岡では3年くらい作る工程だけをしていました。いわゆる工場のような場所でガラスを作るときは5、6人で行うのですが、そうなると流れ作業で一部しかやらせてもらえないんです。その後、違うところを探して神奈川県の横浜の工房が雇ってくれました。
独立するための方法を学ぶ
横浜にいた6年間は自分が作ったものを個展やギャラリーで置かせてもらったりしていましね。「どうやって作ったものを売っていくか」とか「一人で窯を維持していくための方法」を勉強した時期です。
横浜の工房では6人くらいスタッフがいる状態で、それぞれがプロダクションの仕事もしながら、自分たちの創作もしてという形でした。様々な技法や経歴を持った方々がいたので、多種多様なやり方を見せてもらいながら覚えていった、その経験が今作っている作品に出ていますね。40歳の頃、そろそろ独立できそうな節目かな?と高知の幡多へ戻ってきました。
独立当初は、うまくは回らなかったですね。地方でガラスをやっている人は独立するまでに販路を築いておくべきなのですが、取引先をあまり持たずに独立してしまったので大変な部分も沢山ありました。
吹きガラス屋は窯をつけっぱなしなので、付きっきりであまり外に出れなくなってしまう。付けっぱなしということは、それだけ燃料を食っているということ。何も作っていないのに燃料を食わしているわけにはいかないので、ガラス屋ってあまり離れられないんです。
当時「吹きガラス屋」は僕を含めて高知で2人しかいなかったんですよ。始めた頃には珍しいということでメディアの方にも取り上げてもらって。「吹きガラス体験」に市内や県外の方も含めていっぱい来てもらって、助けてもらいながらやっていました。
一瞬が勝負のガラス作り
ガラス製作にも様々ありますが、自分は「吹きガラス」が好きなんですよ。やってみて好きになった部分も当然あるんですけれど、溶けてるガラスが良いんです。素材として溶けている状態が、ただ「キレイ」。
作る上では、一瞬一瞬に勝負かけています。溶けている状態から形にするところまでは早いものだと5分位でできちゃうんですね。でもその間は止まれないわけです。じっくりものを考えることはできない。頭の中にあるイメージを忠実に作り出していく。高温から冷めてくるまでの作業。そこが一番魅かれますね。
一般的に良いものはじっくり時間をかけてかけてできていて、あっさり出来たものには価値がないじゃないですか。
でもガラスの場合は、サッとできるところに価値があったりするんです。ガラスで時間をかけたモノって、「時間がかかっている」というのが見えちゃうんですね。溶けている状態からイメージしていることを綺麗にスムーズにできているモノは、すごく「納得できる」。いわゆる良いモノなんです。そこが吹きガラスの魅力なんですね。
勢いはかなり大事です。迷ったら終わりですね。本当にコンマ数秒のところが大事なんです。
作る上で大切にしていることは、人が見て「キレイ」という部分だけはやっぱり売る以上は守んなきゃいけないなと思って意識しています。透明感のキラキラも含めて。その中で、作家としてのクリエイティブな部分を突っ込んでいく。あとは使って比較的使いやすいモノ。作っているモノは食器がメインになりますから、「昼にも夜にもあの食器を使いたくなる」。そう思ってもらえるモノにしたいなと思っています。
ガラスを溶かし続けること
今もこれまでも「好きなガラスを作って売る」というスタイルでやりたいという気持ちに変わりはありません。そのためには窯の燃料代も稼ぎ出さなきゃいけない。溶けてなきゃ何も作れないし、溶かすためにはそこそこの売上は必要になる。そこが一番辛いところですね。モノが売れないと話にならない。
なので日々、窯に火をつけていられること自体が成功の連続だと思っています。自分が一番やりたいこと、やりたい素材を使える状態にするために毎日良い思いも嫌な思いもします。
応援してくる方へ恩返しがしたい
東京都や高知市内で毎年企画展をさせてもらっています。毎年、僕が作ったモノを楽しみにしてくれる。顔を出してくれる人がいるというのは、一番の喜びですね。ありがたいです。
お客さんが気に入ってくれて、わざわざ買いに来てくれる喜び。ものすごい幸せを感じますね。
これからは自分が作り続けることが第一。そして応援してくださっている方への恩返しをしていきたいと考えています。
ガラスをやっていることを応援してくれる人達がいて成り立たせてもらっている形ですから、そういう人達に喜んでもらえる方法は、ずっと考え続けていたいと思います。
インタビュー後記
お話を伺っているとガラスの「キレイさ」に惚れ込んでいるのが伝わってきました。窯の温度は1,200度。毎日のように窯の前で製作に取り組んでいます。「夏場は特に大変ですね」と尋ねると、「サウナの中での仕事ですね(笑)。だけど、そういう作業が一番楽しいんですよね。」そう語る植木さんの目は子供のようにキラキラと輝いていました。
kiroroanはアイヌ語で楽しいの意味。吹きガラスを通じてガラス作りの楽しさや魅力を伝えるため、今日もガラス作りに励んでいます。
「kiroroan」植木栄造さんの作品の販売もしています。
コメントを残す