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【株式会社 土佐ひかり CDM / 近藤 広典】100年後も循環する仕組みをつくるために

第一次産業の可処分所得を上げ、100年後も循環する仕組みの構築を目指すソーシャルベンチャー「株式会社 土佐ひかりCDM」代表取締役社長の近藤さん。
海外を視野に入れ、各地域で「永続的に循環する仕組み」を作るため日々邁進されています。その背景についてお話を伺いました。
 
 

株式会社 土佐ひかり CDM「ニラ」金融にのめり込む

高知市の加賀野井の出身。高知商業から縁があって大分の大学へ進学しました。
大学のとき突然勉強に目覚めてしまいまして、人生を変える大学の先生に出会ったんです。経営学の先生で、経済の金融の方にのめり込んで行きました。
 
大分で友達も沢山できたのですが、大学時代に高校から付き合っていた彼女に大失恋をしてしまいまして、人生お先真っ暗になりました。
彼女と会うことだけが楽しみだったので、自分の楽しみがなかったんです。
 
その時に初めて、怖くなって。「俺は誰なんだ」「何がしたいんだ」ということを強烈に思うようになった。引きこもり状態になっていたので友達も心配して色々外に連れてってくれるんです。「海行こうよ山行こうよ」「スポーツしようよ」と。とにかく手当たり次第全部やったんです。
 
そんなころ、英会話の先生とも仲良くなりました。当時お金がなかったものですから、外国人がよく集まるというので有名な店に入り浸って英語を学びました。英語を覚えるために3年ぐらい通ったかな?
 
 
 

株式会社 土佐ひかり CDM音楽業界で全国表彰される

その中の一人、英語の先生が「教室を持ちたいけれど、ビザの関係で法人化できない。近藤くんオーナーになってくれないか」と。名前だけオーナーみたいな形でやらさせてもらって、それからまた3年ほど学び、英語を習得しました。
 
その後、業界では有名な大分の老舗レコード屋で働くことになりました。20年くらい前の話です。その頃は渋谷のTレコードが音楽業界を席捲していました。「打倒!渋谷のTレコード!」で売上を抜こうと。ただ地方とは集客力が違うんですね。
 
普通は「勝てっこない」と思うんですけど、「勝とう!!」と。そして何度か勝つことができました。おかげで有名にはなりました。当時2000タイトルくらい月間で新しいレコードが出ていたのですが、それを全部覚えてですね。徹底してやっていました。おかげで業績も上がって給料も平均の2倍の額をいただいていました。
 
 
 

「情熱のろべると」飼料人生観を変える大分での生活

ですが、仕事をやり過ぎてノイローゼになってしまいました。自分の時間がないんですね。
当時、3年程ラジオ番組もやらせてもらっていました。みんな知っている人が多かったんですね。どこに行っても人に会う。それでノイローゼになってしまって。初めてその時に実家に電話して、「疲れました」と。(笑)泣きながら電話して。
27歳頃でした。
 
常に良くなっていこうという意識がないと許せない性格。なので同じことをするんだったら、日々良くなっていきたい。そのための提案をするんですけれど、普通のルーティンで仕事をされている方はすごく嫌がります。「めんどくさくてしょうがない」「いらんこと言うな」と。
 
実は僕もビックリしたのですが、20代で人生で初めてイジメというものに会いました。
「職場で無視される」「お客さんはいるのに誰もレジに入らない」などというように。すごかったですね~。ただ良い勉強になりました。夜中歯ぎしりや寝言を言ってしまうなど、ストレスにも悩まされました。そんなことから「仕事ってなんなのかな」と考えるきっかけになったのが大分での時期でした。
 

 

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