研ぎ師として日本屈指の腕を誇る「田所刃物」の田所真琴さん。若くして飛び込んだ刃物の世界。職人から職人へと受け継がれる心と技で磨きあげられた腕は、料理のプロにも愛されています。
「高知で研がれた包丁も他県に渡れば高知の名前はどこにも出されず、他県産として販売される」という現状を覆すべく、技術を磨き続けています。
また次の世代へ繋げるため、担い手を増やしていくことにも熱心に取り組まれています。包丁にかける熱い想いを伺いました。
「高知で研がれた包丁も他県に渡れば高知の名前はどこにも出されず、他県産として販売される」という現状を覆すべく、技術を磨き続けています。
また次の世代へ繋げるため、担い手を増やしていくことにも熱心に取り組まれています。包丁にかける熱い想いを伺いました。
須崎で17年間修業を重ねた。
中学を卒業後、すぐに刃付け屋で働き始めました。学生時代にアルバイトで働いていたところ、須崎市で刃付け屋を営んでいる親方が来て「明日は俺のうちに来い」と声をかけられて始めたのがきっかけです。
そこで働く前まで、「刃付師」という職種があることすら知らず。親方も鍛冶屋さんやと思っていたので、入ってみて始めて刃付屋さんやということを知りました。
職場には、兄弟子と奥さんと親方がいました。最初の1週間はずっと立ちっぱなし。何もできず立って見ているだけ。
そこで働く前まで、「刃付師」という職種があることすら知らず。親方も鍛冶屋さんやと思っていたので、入ってみて始めて刃付屋さんやということを知りました。
職場には、兄弟子と奥さんと親方がいました。最初の1週間はずっと立ちっぱなし。何もできず立って見ているだけ。
負けず嫌いなので、それが腹立たしくて。一つ出来ると、また新たに別の工程が増えるんですよ。全部振り出しに戻るんです。最終的に大きな輪になってモノができる。兄弟子と親方はすべてできる。1つのことをやっても次のことをできないから、また悔しくて。また頑張って。その繰り返しをしているうちに、モノができてきて嬉しくて。
そのうちに兄弟子も親方も抜かないかん。(追い越さないといけない)という気持ちになってきました。自分の中で「抜く」ということにこだわりがあるんでしょうね(笑)
「この人よりデキるんやないろうか」と。根拠のない自信がありましたね。
だんだん上達すると自信になってくるというか。もうその繰り返しで、17年勤めました。
「本当に良いモノ」を作り出したい。
ある程度経験を積んでくると独立したいという欲が出てきて、「田所刃物」として起業。独立時に「良いモノを作りたい」というのが念頭にありました。「良いモノを作るには、良いモノを見に行かないかん!」ということで、新潟から福井、大阪(堺)へと刃物の産地を北から南へ巡りました。
各産地の包丁を見ると、僕がやってきたモノとは全く違うんです。ほんでこれはいかんなと。ただ、「良いものを作るのにヤリ方が分からん」となったわけです。
須崎での職場は大量生産だったので、機械をよく使っていたんです。今でこそ手作業でやっている粗研ぎ、ヒラ研ぎを機械でやってしまうので、経験がなかったんですね。
そうなったときに、誰かに教わらないかん。そこで堺の材料屋、問屋さんに聞きまわって「1番上手い人を教えてほしい。」と調べた末に見つけたのが、今の師匠です。
そこへつてもなく、飛び込みで門を叩きました。
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