高知で活躍する人の「生き方」にスポットを当てたメディア

高知の「えいもん」を紡ぎ出すウェブメディア

Creator / 作家

高知の自然に恩返しがしたい【MOUTH WOOD WORK / 中上 潤哉】

【MOUTH WOOD WORK】中上 潤哉

波なしの生活はあり得ない!

とにかく動くのが好き。動いていないと落ち着かないタイプでした。
木材を扱うようになった原点は、祖父が木工製材所を経営していたこともあり、田舎に帰ると木の匂いに触れる機会が多かったことです。

なので他の人よりも木が身近にあって、馴染み深かったように思います。「ちょこちょこつくるのはおじいちゃんに似ている」とよく言われます。そのためか、幼少の頃から木でモノを作ることが好きで、生活する上で必要なモノを作ったりしていました。
 
「木」は五感で感じることができ、一番身近にある温もりを感じる素材です。土に還ることができます。使い捨てじゃないモノが作っていて面白いと感じます。そして一つの形からいろんな形を生み出すことができる。削り出す、接合する、組み合わせる。表現に幅があり自由に表現できることにも惹かれたワケです。
 
 
 
【MOUTH WOOD WORK】中上 潤哉

最高の波

サーフィン歴は16歳から始めて25年。高校を卒業してからは、サーフィンだけのサーフィン三昧の生活。その頃には大会に出るようになり、スポンサーもつくようになっていました。
 
おかげで道具を提供していただいたりと益々サーフィンにめり込んでいました。冬の間は波がないので集中的に働き、給料持って外国の波にのるためシーズンは海外へ行く。戻ってきては日本でバイトをこなしながらの生活でした。
 
サーフィンの大会にも幾度となく出場し、優勝や賞状をいただきました。ただ自分の中では大会に出たら勝って、それで終わりではありません。これからもサーフィンは人生の一部として続けていく。

自分がやってきたことが「成果」として形になったことよりも、「過程」の方が心に残っています。その成果からスポンサーが付くなど喜びも大きかったですが、「もっと波を乗りこなせるようになりたい」。純粋にサーフィンが好き!という想いで続けてきました。
 
居酒屋での仕事をしながらインドネシアやバリ、ハワイ、オーストラリア等、毎年のように海外へサーフィンを楽しみに行っていました。今までいろんな国の波に乗ってきましたが、「一番良い波は?」と聞かれると、「仁淀川の波」だと答えます。

自分が一番慣れている場所だし、常に波がある。良い波がくればすぐに行ける。海外だとベストな波に乗れない場合もあります。良い波に当たっているかというと当たっているかは分かりません。国によって波質も違います。バリエーション、大陸の波と島の波は違ったり。仁淀川の河口は世界的にも珍しい様々な条件の整った場所です。
 
 
 
 
 
【MOUTH WOOD WORK】中上 潤哉

はじめて触れた”アライア”に衝撃!

「夜に居酒屋で働き、昼にサーフィン」という相変わらずのサーフィンベースの生活。サーフィンに没頭していたので、将来のことは全く考えていませんでした。結婚して30歳を迎えたとき、「自分に何ができるか?」「何をしていこうか?」と考えを巡らしていました。
 
「MOUSH WOOD WORK」は、サーフィンの道具を作ることから始まりました。 きっかけとなったのは、雑誌で紹介されていたオーストラリア人がリバイバルさせたアライアを見たことが始まりです。
 
当時の日本ではあまり認知されていなかったサーフボードの原点である”アライア” という木の一枚板のサーフボード。まず見た目が「なんてシンプルなんだ!」という驚き。

そして乗ってみると、スピードがめちゃくちゃ早い!
現在のボードと比較するとコントロールしにくいのですが、スピードは断然アライアの方が速い。そしてスピードが出たときの浮遊感を体感したときの高揚感。アライアを乗りこなすのは難しいんです。

だからこそ、面白い!今現在の最先端のボードを知っているからこそ、原点となったアライアを初めて乗ったときの衝撃!今でも忘れません。
 
アライアに出逢うことで、サーフィンに対する考え方も変わりました。スピード感やターンの仕方、乗り心地が違いました。フィンも初めはなく、徐々に一枚二枚、三枚、4枚と徐々に増えていったのです。「進化してきた過程の板を乗ってみたい」そう思うようになりました。
 
いつものサーフィンとはひと味違う新しい感覚を発見し、いつの間にか、アライアやハンドプレーンを自作する事に夢中になっていました。そこで改めて「自分は作ることが好きなんだ」と気づかされました。
 
 
 
 
【MOUTH WOOD WORK】中上 潤哉

道標を示してくれた開拓者との出逢い

はじめは遊び道具を作るために始めたモノづくりでしたが、「MOUSH WOOD WORK」の生みの親といっても過言ではない方との出逢いがありました。自分の中では、最も影響力のある人。映像作家の大倉孝敏さんです。ただ作るだけでなく、ブランドとして活動する方向性を示してくれました。
 
大倉さんとの出逢ったのは海でした。仁淀川のプロモーション動画撮影に高知に来ていたとき、地元のサーファーの大倉さんは毎日撮影に、自分は波に乗りに毎日海へ通っていました。

波のコンディションが悪いときは撮影できず波に乗ることもできないので、そのとき話を聞いていただきモノづくりを後押ししてくれた。自分の考えがまとまり、明確なビジョンを描けるようになったのも大倉さんのおかげです。
 
大倉さんのつながりから神戸でギャラリー(個展)を開くこともでき、「MOUSH WOOD WORK」で活動していく過程でサーフィンだけでは出逢えなかった魅力的な人と出逢うことができました。

彼もサーファーだったということもあり、仁淀川撮影がきっかけで移住されています。高知は本当に自然が豊か。これからも高知の自然に魅せられる人が増えるだろうと思います。
 
 
 
 
【MOUTH WOOD WORK】中上 潤哉

自然から教わったこと

仁淀川の河口は、サーフィンスポット山と川と海が交わる場所。視野が「海」以外に「川」や「山」へと関心が向いたのは、今の奥さんに出会ってからです。

尾瀬(おぜ)に住んでいた奥さんから話を聞き、山の魅力に触れてから。おかげで興味のフィールドが徐々に海から川、そして山へ移っていきました。
 
視野が徐々に広がると、自然が本当に豊かだということに気がつきました。「良い山」があるから「良い川」があり、良い川があるから「良い波」が生まれる海がある。「山」「川」「海」が自分の中でつながった瞬間でした。
 
仁淀川の波は、世界的に見ても良い波が来ます。河口の流れはすごくデリケート。波に適した地形ができて、全部のバランスとタイミングが合ったときに良い波が生まれます。

こんな綺麗で美しい「山」「川」「海」が揃っているからこそ、生まれる波。そんな波を大切にしていきたいです。
 
 
 
 
【MOUTH WOOD WORK】中上 潤哉

モノづくりを通して、自然に恩返ししたい

製作を通じて海から川・山へと興味の対象が広がり、フィールドが広がるうちに、高知の原生林率がわずかであること、高知の森の荒廃が進んでいることを知りました。そんな中で、高知の特性を生かして、サーファーである私が「高知の自然にできる事は何かないのだろうか」と考え始めました。

そして、森と川と海とがつながっていることに思い至り、私が製作し始めていたアライア・ハンドプレーンや木の道具でその事を表現できるのではないかと考えました。
 
国産の木や地元の間伐材を使ってアライア・ハンドプレーンを製作し、高知の海で楽しむ。そして、それを周りに少しずつ伝えていく。 

自然エネルギーへの転換が模索されている中で、 その事が森林の恵みを利用して日本人が昔から築いてきた「木の暮らし」を見つめ直す足がかりとなり、さらに 高知の海を守る事にもつながります。
 
森林伐採で保水がなくなると、川の水の量も減ります。水がすごい綺麗か汚いかも考えたことがなかったけれど、仁淀全体を見ると、すごく水が綺麗でなおかつ元々の原生林が残されていて、世界的に見ても珍しい波が生まれています。「奇跡だ!」といつも思います。

「今のこの時代にこんな場所が残されているんだ!ということに驚きと感謝がありました。素敵な場所でサーフィーンをしている、関われていることをもっと知ってもらいたいです。綺麗な場所が残されていることを知っていったら、綺麗な場所を残したいという想いに共感してもらい、一緒に活動してもらえたら嬉しいです。
 

 

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

PICKUP POSTS

MOST VIEWED POSTS