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高知から造形文化を発信していきたい【平地造形 / 平地 正利】

 高知を拠点に全国の立体造形物を手掛け、幅広く活動している造形家の平地正利さん。ですが大学卒業後10年間以上、芽が出ず苦労された時期がありました。

転機となったのは、龍馬像の造形を手掛けてから。誰もが知る某有名テーマパークやゲームキャラクター、店舗・施設などの立体製作も多数手掛けています。造形家を目指すきっかけから今に至るまでの経緯を伺いました。


造形家【平地造形】平地 正利立体造形に魅せられた。

幼稚園の頃、一番好きな時間が粘土遊びでした。 形あるものに惹かれていましたね。
絵を描くことも好きたっだけれど、自然と立体に目が向いていきました。

絵より立体の方が自分の思っているものをダイレクトに表現できるんです。 絵は得意だけれど立体は苦手な人もいれば、その逆のタイプもいます。両方できる人もいるけれど、僕は立体の方が得意でした。

立体作品として認められてきたのは中学生くらいからです。大学のときには彫刻を専攻していて、 そこから本格的に立体作品をつくるようになりました。粘土を使って大きな立体作品をつくる岐阜県の「みずなみ陶土フェスタ」にグループで参加してグランプリをいただいたこともありました。



造形家【平地造形】平地 正利卒業後は全く食えなかった。

大学卒業直後、作品の展覧会を開催して見に来てくださった方から仕事の依頼もいただきました。けれどお金に結びつかなくて、ほとんどボランティアのような形でした。
お金に結びつかせるにはどうすればいいか?を考えるのが難しかったですね。削る技術や、FRP(繊維強化プラスチック)の技術は造形会社でのバイトや、個人で仕事を受ける過程実践で学んでいきました。ほぼ独学のような形でした。

独立して個人でやるということは難しく、造形の仕事だけでは全然食えませんでした。大学卒業時から20代半ばまではデザイン関係やWEBなど造形とは違う仕事もやりました。
半年間だけデザイン事務所にいたこともあるんですが、その時デザインしたキャラクターが大賞を取ってしまって。で、その後調子に乗っていくつかキャラクター公募に送ったこともあったんですが全然ダメで(笑)。やっぱり自分には立体造形しかないなと。

20代後半は仕事を造形に絞り込んだこともあり、一番苦しかった。まともに造形だけで食べていけるようになったのは、30歳過ぎてからかな。

 

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