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【漫画家 / 正木 秀尚】地域に還元した漫画を作る

代表作「雨太」や「ガンダルヴァ」を作り出した高知が誇る漫画家、正木秀尚さん。
土佐高校にてまんが同好会を設立。高知大学中退後、1985年「がんばれポストマン」にてデビューしました。

現在は漫画家として、地域に根差した活動を手掛けています。漫画家になろうと思ったキッカケから、今に至るまでどんな背景があるのか、お話を伺いました。

【漫画家】正木 秀尚漫画を好きになったきっかけ

生まれは香美市。漫画を描こうと思うようになったきっかけは、小学校に上がる直前でした。

近所に漫画の上手なお兄さんがいて。そのお兄さんが引っ越すということで、記念に当時の流行の漫画の絵を描いてくれたんです。
それにすごく衝撃を受けました。テレビで動いているような絵を人の手で書けるんだと。 真似をして書き始めたことが最初ですね。

当時、新聞のチラシは裏側が印刷されてなかったんです。それにチラシが入っていて、毎日仮面ライダーとかキャラものを描いて遊んでいました。
まさか漫画家になるとは思わなかったですけれど(笑)

小学生の頃は、クラス委員長をやるような優等生でした。中学校の頃は野球部に入って、土佐高校のときに美術部に入ったのが運の尽きやった(笑)

変なやつらがいっぱいいて、そいつらに影響を受けました。同級生で漫画家になった奴もいて、漫画を描ける奴が周りにいたので漫画同好会を作ったりしましたね。


卒論の逃避から、
漫画家としてデビュー。

高知大の3年が終わったとき卒論を書く能力がなくってマズイなと。それで、ちょっと半分逃避なんですけれど、漫画を投稿してみようと(笑)

それでイイ線行ったんですよね。それで思い切って大学を休学して。そのあと何回か挑戦していたら、3回目の投稿くらいで「デビューしましょう」というオファーが来たので、そのまま東京へ行くことになりました。

上京して、当時週刊少年サンデーで連載していた上條淳士さんの「To-y」という漫画家アシスタントをすることになりました。
やってみて「あっ、務まるな」と。自信がついたので、そのまま大学へ退学届けを出しました。

その後、2年くらいは上條さんのところにおりました。 大学生の頃は、バンド活動や音響機器を扱う会社でPA(パブリックアドレス)のアルバイトもしていて、コンサート会場の機材をまかなったりしていました。たまたま「to-y」がバンドをやっている漫画だったから、その時の知識はすごい役に立ちましたね。

連載は2年続きました。連載が終了した時点で、アシスタントは解散となったので、とりあえず一高知に帰省して1年間くらい連載用の作品を作っていました。
その作品でそのまま週刊少年サンデーで連載デビューすることになりました。

連載が決まったので、すぐに東京に行っちゃうんですけどね。
その後、10年は東京にいて30歳で、完全に高知に帰ってきました。

 

【漫画家】正木 秀尚「正木秀尚」を広く知って
もらえるようになった出来事。

東京時代には何本か書かされた作品はあるんですけれど、講談社のモーニングの増刊になった「雨太」。
これは高知に帰ってきて最初に書いたフルオリジナルの作品です。

自然物をふんだんに入れたもので、東京が舞台になっていないんです。
それで結構完成度の高い仕事ができたのと、周りの方々に結構評価してもらったんです。これが初めての成功体験でした。

単純に「正木ってやつがいるんだ」って知っていただけたきっかけの作品です。
漫画家の江口寿史先生、あの先生も気づいてくれてたというのが当時嬉しかったですね。

高知へ帰省後、挫折。

その後、嗅覚をテーマにした「ガンダルヴァ」をやって人を雇ってチームを組んだんですけれど、それがうまくいきませんでした。
チーム作りをしたかったけれどできなかったということで、実際に鬱で2年くらい寝込んでいたんですね。 

その上に泣きっ面に蜂。のような形で仕事の中で事件があって、ストレスから体調も崩してダウンしちゃったんです。
高知へ帰省して結婚して家族ができてっていう中で、仕事で大きな失敗をしてしまったので。

ちょっと先が見えない、先の仕事ができないという状態。体調も崩したときにだいぶ、挫折感を味わって。
そこから、復帰するのに4年くらいかかってしまいました。



【漫画家】正木 秀尚立ち直りのきっかけは、
昔馴染みのバンド仲間。

自分が憧れていたカッコ良いバンドがあったんですけれど、そのリーダーが亡くなって。
「その代わりに入ってくれないか」と言われて、「寝込んでいるのにそんな重たい役どころはなぁ」と思ったんですけれど(笑)

他にやることもなかったので、思い切ってやることにしました。
その人たちと一緒に音楽をやることになったら、スゴイんですよ!その人達が!

詩を書いて、適当にコードを付けてスタジオに持っていくと、4回練習したら曲が出来上がるんです。
バリバリその場で作っていくので、「なんだこのひとたちは!」と。その面白さから徐々に精神的に立ち直りました。


読者からのファンレターが
今でも忘れられない。

未だに忘れられないのが、ある読者からもらったファンレター。
少年誌で連載されていた作品が打ち切りにはなったんですけれど、4年後に他社から単行本が出たんです。

ファンレターをくれた読者は、少年誌のころは当時中学生で定時制の高校に行かなくちゃいけなくて。学校の先生には「定時制務まらねぇよ、お前」と言われたらしいんですけれど、僕の漫画を読んで「負けるもんか」と思ってちゃんと卒業したそうです。

連載されていた時期のちょうど4年後に出た単行本を読んで、ファンレターをくれたんです。それがすごい嬉しかったですね。


【漫画家】正木 秀尚高知に根差して、漫画文化を育てる。

高知に帰ってきたことをきっかけに、だいたい高知を舞台に書いているんです。

最近は漫画の仕事以外でも新しく地元でチームを組んで、地域おこし的な漫画の仕事もやっていきたいなと考えています。
もうすでに何件か話をもらっているので、今年から地元創生を1つのテーマにしてやりたいです。

たとえば、大川村の村おこしを漫画でできないか。龍河洞を絡めたストーリーとか。
もうすでにやっているのは、高知競輪のキャラクターデザインをしたり。

高知に帰ってきたことが一番の転機でした。高知の面白さを再発見できたというのが大きいですね。

やっぱり上京したときは、二十歳そこそこなので高知のことをそんなに知らないんですよ、実は。
30歳過ぎに帰ってきて、「高知って面白いところだな」と分かった。

食べ物は、どこに行っても美味しい(笑) 
東京は美味しいところを探すのが大変で。 まず食、それに芸達者な人も多いですね。
珍しい風景もたくさんあるので、素材の宝庫です。 


 

インタビュー後記

正木さんの漫画は、絵柄そのものがセクシーで色気があります。
ご本人いわく「自分ではわからないんですけれど(笑)大事にしたい部分だなと思っていますね。官能性、曲線美は意識しています。」ということでした。

2016年9月には月刊ヒーローズに新作の読み切りが出ました。
舞台が高知で、日本酒の漫画となっています。今後の連載が楽しみです。


正木さんへの質問【オマケ】

生活の中でどんなことを心がけていますか?

山ほど、映画を見たり小説を読んだりはします。 これはスポーツ選手で言うところの基礎トレのようなもので、それは絶えずやっています。

特にこれ書くからって、わざわざ見るんじゃなくて。暇さえあれば「見る」「読む」ということを意識しています。


書く上で意識していることはありますか?

漫画家は絵描きである前に作家、ストーリーテラーなので、やはりお話が面白くないといけない。お話が面白いということはエンターメント性があるということなので、どんなにレアな題材を扱うときでも、そこは失わないようにというのは心がけています。

あと、あまり自己表現という意識はしないんだけれど、どのみち自分の持っているものしか出せませんから、それを「どうやって一般の読者の方と感性をマッチさせるか」というのは、すごい難しいことなので、いつも一番そこは奮闘するところです。

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